野郎共、お仕置きの時間だ

なんのこたぁないダメ強化人間LayeⅡ(らいつー)の独り語散るgdgd生活ブログ なまはげだって少子化で寂しいんよ。

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【Viol Viera】#15

+WARNING+オリジナル小説+WARNING+

・本文は完全一次創作です
・苦手な方はスル―推奨
・以前の話は右下カテゴリの一次創作より
それでは、どうぞ
【Viol Viera】#15




























今だから、だろう。自分にとって本当の意味で同胞といえたのが、ブランだったように思う。
ブランシュ・エーテル・コーディッシュ。 純正の血を持つ稀有な存在でありながら、そういった背景を感じさせない明るい表情を振り撒く事が出来る、そういう意味ではさらに稀有な存在が彼女だった。
 物心ついてから随分と長い間、彼女と共に過ごした気がする。それは家柄のおかげでもあるし、そもそも気の合う友人として空気のように接していた所為もある。
ロゼッタも家族同然だろうと言えば、確かにその通りだ。ただあくまで彼女は「人の側」の友人だった。人は夜を追立て狩り立て、自分たちの領域から排斥してゆく。彼らにとって夜とは恐るべきもので、ロゼッタら魔女の一族はそれに対する数少ない対抗手段として重宝されていた。そう表現すれば、人と魔の間に生を受けた自分にとって本当に近い存在といえたのはブラン一人ではなかったか。
蒙昧な意識の泥濘、その深淵で魔女は追想する。
彼女は自分に何を齎してくれたのだろう。考え始めればきりがないが、ひとつ間違いなく言えることがある。
――自分たちと人は。自分たちと魔は。最初から相容れない存在ではない。
必ず何処かに、互いの存在意義が錯綜する地点があるはずだった。
ブランは、白髪の高貴な純血吸血鬼の彼女は、自分にとってその切望の一つの答えだった。

……取り戻さねばならない。
世界のために、人と魔と神々のために、そんな大仰で背負いきれないもののためになどと、豪語するつもりはない。
自分に取り戻せる範囲で、その全てを混迷から掬い出そう。それだけのために、自分は幾らでも戦える。それは苦ではなかった。義務ではあったが、重荷ではなかった。
力を授けてくれた全てに感謝をして、自ら望んで炎に身を投じる覚悟は出来ていた。
失うことは恐ろしい。命を「賭ける」のも、また生きるのを諦めることとは違う。
だがそれでも――「懸ける」だけの価値があるのならば。
戦うために紡がれた血の何をかもを動員して、自分は刃を振るうことができる。
振り向くのは、終わってからでいい。
迷いも憎しみも、戦いには持ち込まない。
私は取り戻すために、戦おう。


深い深い微睡から目を醒ました魔女は、意識から引き上げられると降り注ぐ朝日の日差しに眩さを覚えながら、ベッドの中から腕を伸ばした。
 ――おかしいな。自分は昨晩鋼鉄の翼の上で瞼を閉じたはずだったが、気が付けばいつもの自室で白い壁に囲まれながら柔らかな布団に包まれている。誰かが運んでくれたのだろうか? オレグにそんな甲斐性と根性がないのはよく知っているから、きっと他の誰かだろう。
そんな思案をしているうちに、ふと下腹部に重みを感じ取った。どうやらそれは腰を回り込むように手を回しているらしい。邪魔だったので蹴り飛ばして布団ごとベッドから転がり落とすと、間の抜けた悲鳴と共に赤毛娘が姿を現した。

「うー、あー。あ、カーラおはよう」
「…………なんであんたが私のベッドに?」
「全く、呑気だなぁ。
なんにしても、やっと起きたようでよかった。これで話が進められるからね」
「ちょっと待って、状況が掴めないんだけど」
「分かってないようだから、あたしから事実だけを通達するよ。
あなた、丸二週間昏睡してたの。心配したんだから」
「……うそ?」

頭が真っ白になった。
そうして茫然として石化する魔女を尻目に、ロゼッタはぶしつけにも他人のクローゼットを開けて、鼻歌気分で着衣を吟味しているのだった。






【Viol Viera】

―Witch of decision―

―aberration hunting file#15―

[Witch and Elder Blood]






タウンマップにも載っていない、知る人ぞ知るその店。
人間界の場末に転がっている、悪魔向け七つ星レストラン「地獄の一丁目」。
その店内は、開店以来前代未聞の緊張に包まれていた。
アルバイトで臨時的にウェイトレスを勤めるロゼッタは、恐る恐るとある席から注文を取る。ガラス張りの外向きの二人席に腰を下ろしている二人は、想像を絶する組み合わせのさらに果てに座していた。
呉越同舟。これほどに適切な表現はないだろうな。
頬から冷や汗をかきながら悟られぬように、いつもの言葉を紡ぐ。
ただ本人はそのつもりでも、声は思いっきり平常のそれを逸したものになってしまい、それは緊迫した空気をさらに研ぎ澄ませる結果となった。
平然としてふんぞり返っているのは、話題の中枢にいる二人だけだ。

「ごご、ご注文をどうぞ~」
「ミネストローネで」
「水」
「お冷の追加とミネストローネ、以上でございますね~……それではごゆゆ、っくり」
「ごゆっくり、ですって。
もうちっとまともな注文すればよかったんじゃないですか、貴方も」
「貴様と同じ席に座っているだけで虫酸が奔るというのに、ごゆっくりだと?
冗談も大概にしろ“ニーズヘッグ”。俺が貴様に用があるのは他でもないことだ」
「んじゃあ、さっさと始めやがれってんですよ。
あんまりイラつかせるとここで消し炭にしてやりますが。ええ、それがご所望で?」
「……貴様との抗争ならば望むところだが、それは要件が終わってからにするべきであろう」

席に座っているのは、野心に満ちる藍色の瞳を持ったうら若き乙女――その皮をかぶった邪龍ニーズヘッグ。そして対岸にいるのは仏頂面を隠そうともしない、やはり人の形をとった火焔龍のファフニール。
伝承レベルの超弩級大物魔族が二人、よりにもよって場末の食事処で会合をしているのだ。行きかう悪魔たちは二人の動向に気が気ではない。その議論の内容にも勿論気にかかるし、知らんぷりをしつつ偵察をするものもいれば、命知らずにも思い切り囃し立てるものもいる。
だが二人は依然として――驚くほどに毅然だ。天敵がいない彼ららしく悠々自適に対立を愉しんでいる節があった。
ロゼッタは注文伝達のついでに厨房の死神店長のもとに駆けより、狼狽そのままに戦々恐々として事態を伝えていた。
「店長さん、あれ、あれ……いったい何事!?」
「ああ……、彼奴め休暇を取るとか何とか言っていたのはこれか」
「感心してる場合じゃなくない? あれって、龍からの刺客だよね……?」
しかし店長はフンと鼻を鳴らすと、事もなげに言う。
「戦争しに来たなら、最初からそうするはずだろう。
向かうところ敵なしの奴ら龍がわざわざ話し合いの場を設けているということは、おそらくここで一戦構えるような愚を犯すまいという配慮だろうな。さすがに個体が少ないから大っぴらにやり合うわけにもいくまい……公衆の面前なら奴らもそうそう力を使うわけにはいかないという、やつらなりのこちらへの気遣いなのだろう」
「そういうものなの?」
「まぁ、そうでなくたって“アレ”は現行最強の龍だ。
最強生物の刺客の一人や二人、不意打ちを受けようがなんということもなく排除、或いは消滅させるに足るだけの正真正銘化け物なのだ。どのみちこんな狭いところで弄する策もなくやり合うようなヘマはしないと俺は思うがな」
「とりあえずは安心していいってことか」
そっと胸を撫で下ろすロゼッタだが、しかし店長は不穏気に声を潜ませて言う。
「……どうかな? 奴らの考えはさすがに俺の理解を超えている。やろうと思えば気紛れですぐさま世界中を敵に回してしまうような連中だ。
今言ったのはあくまで憶測、あまり楽観視しないことだ」
「お、脅すね……」
「長生きするには用心は欠かせんよ、エピタフィオンの小娘。
それで、注文は?」
「ミネストローネだってさ」
「ちっ、しかし向こうの小娘もなんだって厄介ごとばかり牽引してきやがるんだ」

愚痴を漏らしながら調理に取り掛かる死神店長は、小間使いグリムリーパーたちをフル稼働させて厨房で賄いに勤しむ。そんな彼を尻目にロゼッタは客席の方を見ていた。
普段は飄飄としている彼女――リーゼロッテも、その横顔は極めて真摯なものだ。瞳に映る焔は闘志を絶やさずに、眼前の敵をいかにするかばかりを考えて燃えていた。だがそれ以上に戸惑いの表情が見て取れたのも事実だ。
彼女が迷う、そんなことが世にあるのだろうか。ロゼッタとしてみれば、これはファフニールが交渉を持ちかけてきた以来の様相だった。つまりは今回もまた、彼女にとって進退の窮まる問題であることだけは、どうやら明白な事実として店内の重苦しい空気に横たわっていたようだった。
重い口を開いて発した言葉の端々には彼女ですら耐えきれないほどの重みを孕んでいる。

「……この期に及んでいったい何の用だっていうんです?
あの瞬間に我々の袂は分たれたはず。もう話し合う必要もなければ、戦う必要もない。
不干渉を貫けばいいじゃないですか? もっとわかりやすく言いましょうかね。
ほっとけっつってんですよ。
わたしは貴方たちともう関わる気もなければ協力するつもりもない。
ただ立ち塞がるのであれば……消し飛ばしてでも前に進みます」
「その剛毅さ、何も変わらんな」
「万年の星霜を生きる龍に高々二千年で変われという方が土台無茶な話ではないですか」
「それもそうだ……だが貴様の石頭を見越しての提案がある」
 リーゼロッテの瞳が僅かに揺れた。ファフニールは落ち着いた声で続ける。
「貴様の処遇を元老院が決定した」
「……裏切り者を消しに来たわけですか」
「そう早まるな。あの爺どもはどうやら貴様とは事を構えたくないらしい。
そして現在最も目標に近い個体は、貴様だと判断されたようだ」
「……それで要点は」
「遺憾ながら、貴様と“協働”するということになるな」

藍色の瞳が大きく見開かれて、リーゼロッテは信じられないといわんばかりに茫然とした。
それもそのはずだ。彼女はとうに同胞を切り捨てた。いや正確には、同胞に切り離されたといった方が核心に近かった。大多数の龍たちにとって、彼女は忌むべき存在であり、戦線を切り開くための兵器にしか過ぎず、また同胞であっても一つ間違えば駆逐せしめる凶悪な諸刃の剣にも他ならなかった。
その異端児、穢れた血族との共闘。幾ら上層部の指示とはいえど彼もまた納得はしていない。そしてそれは彼女の方もまた然りだ。
とっくのとうに縁切れた、錆び付き苔の生えた連中と、再び戦線を共にする。
言い知れぬ激情が彼女の中に流れ、憤慨も感嘆もせずに彼女は淡々と受け応えるだけだった。それしかできなかった。他にどうしてよかったのか、そんな選択肢を考える余裕すらもなかった。

「……今までのことを、全て水に返せとでも言うつもりですか」
「きれいごとを今更にぬかすつもりはないし、貴様と我々の禍根や軋轢は一朝一夕で消し去れるものでもない。恨むな、という方が無理があるし此方も相も変わらず恨み続けるだろう。ただ、爺どもはそれでもこの共闘に意味があるものだと推察しているようだ」
「…………」
「我としては……正直反吐が出るような持ちかけ話だがな。
貴様の好きなようにすればいいし、やりたくないのであればここで一戦交えるのも一興ではある」

前回の衝突の際に見せた不敵な含みではなく、そこには何の嘲りもなかった。素直に「勝手にしろ」と言っている。ファフニールとしても、今回の指示、困惑は隠せないのだろう。
衝突も共闘も、自分ですらどちらにすべきであるかを測りかねている様相だった。
手を取り合うには血にまみれ過ぎていて、決裂するには互いの持つ力は大きすぎる。
そして、こんな状況にはかつて一度も陥ったことなどなかったのだろう。龍らしからぬ虚脱の雰囲気が二人を包み込む。
深い沈黙をロゼッタは息をのみながら見守っていた。
どうでるのもリーゼロッテの自由だ。そして今回は彼女に非はなく、また損も無い。
本当に彼女にとって幸せな選択肢となるならば――そう考えると、親友として引き止める理由なんて一つもなかった。
深い沈黙の果てに、彼女は口を開く。何処か遠くを見据えるような、淡い眼差し。

「あなたと最後に協働したのは、終末戦争以来ですね」
「フン、あの頃はまだ互いに若かった。
自分たちの正義を信じて、ひたすらに屍を積もうとも前に進めた。
そのために自分は生を受けたのだと、迷いもなく戦いに明け暮れるだけの生――貴様も我も、ともに兵器として。それだけのために突き進む毎日だった。
だが……どうにも今の貴様は迷いがあるようだ」
「迷いですか……確かにそうかもしれません」
「……あの小娘。
貴様の不動の覚悟を揺るがすとは、なるほど人間も強ち侮れぬのやもしれぬ」

またも、嘲りの色はない。ファフニールは彼女の事を多少なりとも理解を示しているのだろうか。
幾星霜積み重ねても変わらぬ信念が、たった一人の、それもちっぽけな人間などに何が変えられる。
そう信じてやまなかった。だが自分が目にした龍の瞳には、確かにそれが映っていた。
……おそらくは、自分には止められないのだろう。
だからこうして、話に来たのだ。
そう言いたげに、リーゼロッテの回答を待っている。
静寂を纏ったまま、優雅に足を組み直すと、ようやくそれが得られた。
今度は真っ直ぐに射るような眼差しに、藍色の瞳が切り替わる。

「結論から申しますと――」
「NO、か」
「すみませんね。
不干渉としてはどうでしょうか。
わたしはあなた方と無駄な争いは控えたいし、あなた方もそうでしょう。
暫くは神殺しの塔も発動はしなさそうですし……龍の出番はもう少し先かもしれません」
「……寄り道とは。
貴様らしくもない判断じゃないか」
「もう二千年ほど寄り道しましたし、あと一年や二年待てないという道理はないでしょう?」

朴然としてそう言い放つ様には、何ら翳りは無いようだ。
ファフニールは彼女の意志がゆるぎないものだと確信すると、全く仕方ないと、心底思ったように溜息を洩らした。
旧知の間柄ならではの暗黙の了承があり、そうと知るや彼の口調は随分と穏やかなそれに切り替わる。
先日に業火と氷塊で命を削り合ったときに見せた鬼のような形相とはかけ離れた、風の無い海のような表情だった。

「待つだけの価値はあるのか?」
「戦力は十二分です。
てっきり三人でおっぱじめようと画策してたもんですが……龍が加勢してくれるならば勝利は揺るがぬものとなるでしょう」
「血の制約に抗う術は? 神の奴はまだ手綱を握ったつもりでいるようだが」
リーゼロッテはにやりと邪悪な笑みを浮かべ、嘯いた。 「策は用意してあります」
「大した自信だ」
「待った時間が時間ですから。薄ら寝惚けてた奴さんと同列に考えられちゃあわたしも侮られたもんだ。
……依然目標は変わらない。
玉座で踏ん反り返っている神を叩きのめし、屠る。
そうして世界の境に一点楔を打ち込む。
ただそれだけのために我々は牙を磨いてきた。そしてそれは何ら、ぶれることはない。
近いうちに、全ての決着をつけましょう。再び共闘する日は、おそらくそう遠くないかと」
「それを信じろという訳か」
「……わたしの中に流れる龍の血にかけて誓いましょう」
「フン」 満足したようにファフニールは小さく頷き、席を立った。 「……話はそれで終わりですか?」
「貴様は目的のためには手段を択ばない輩だった。千年経とうがそれは変わらん。
その貴様が道草を食うような事態だ、よほど大切な用があるのだろうな」
「ええ、おそらくは」
「何か言う気も失せた。好きなようにやるがいい。
まぁ――派手に一戦吹っ掛ける際は一声掛けろ。
この間はあんなことを言ったが……状況が状況だ。我らが生き延びるために最早連帯は外せぬものらしいしな」

彼は何も口にしていないのに律儀にリーゼロッテの勘定を済ませて、古めかしい茶色の戸に手をかける。
「邪魔をしたな」それだけ言って戸を引くと呼び鈴がからんとなって、風のように消えた姿を茫然として見送ると、小銭だけがロゼッタの手の上に乗っかっていた。
緊張が抜けたのか肩からがっくりと力を抜き、大きくため息をつくとリーゼロッテが会計口に寄って来る。

「……今の、こないだの龍神さんだよね?」
「ええ、彼にしては街のど真ん中で会合するなんて、らしくなさすぎて笑っちゃいますが」
「あの時はものすごく怖い顔してた気がするんだけど……おかしいな。二重人格か?」
「あいや」 リーゼロッテがそんなことかとばかりに首を振った。 「龍はその時々に応じて合理的な判断を下します。感情というものにそもそも疎いんですわ。だからあの時の彼は怒っていたというか、あの時の場に相応しい感情としてああ振る舞っていたわけです。わたしは排除すべき対象であったろうし、逆に指示として今はわたしと友好的に接するようにできている」
「じゃあ、もしかして最初から仲が悪いわけじゃなかったのか」
「戦友みたいなものです。まぁ、しょっちゅう対立はしましたけれどね」

 感情が出ないわけではなく、感情の切り替えに規則性があるのがどうにも龍らしい。
そう考えると、自分の知るリーゼロッテという龍は少しばかりその規則性にやや難があるようだ。笑っていると思えば刃物を抜き出し、怒っているようですり抜けていく。まるで雲を掴むような性格だ。彼女の言う模範的な龍とは違うのも、彼女が被創造種故の差異なのだろうか。
リーゼロッテの対応を見る限り、やはり彼女もファフニールを恨んでいるような節は見られない。
感情にこだわりが無いというのは便利そうで、反面意外と面倒くさそうでもある。あまりにドライな人間関係ばかりが積み重なっては白紙に戻される。その重みは龍である彼らにしかわからないのだろう。
考えるのが無駄とわかると、ロゼッタは今後の事を口にした。

「で、お話の方は区切りがついたようだけど」
「はい、龍とはお互いに不干渉にする方向で。
彼らが次に現れるのは……そうですね。神殺しのその時になるかと」
「あれ、でもリーゼロッテこないだ追放されたって……」
「向こうのお偉方が考えを改め直したようです。わたしもまだまだ捨てたもんじゃないってことですね……ふふっ」
「増援は龍ときたか……どんどん話がでっかくなっていくね。卒倒しそうだ」
「最初から規模は変わりません。おまけが増えただけ、でも頼もしいことはこの上ないですね」

おまけというには随分と嬉しそうな彼女の顔色を見逃さない。
二千年ぶりに仲間たちと共闘できると知った彼女の表情はいつになく晴れやかなものだった。
折よく店長が厨房から姿を現して、グリムリーパーたちに指示を出している。
「おい小娘ども、用事が終わったのなら店じまいするぞ」
「うん、早いね今日は」
「魔女が起きたのならぐずぐずしてはいられまい。
5時には奴の巣窟に押し掛ける。
主役が居なければ作戦会議も出来やないだろうが」
 「……ん? もしかして店長さんも手伝ってくれるの?」
「フランケンシュタインのバカバカしい計画を潰すのなら、なんだって俺を置いていく選択肢がある。
ただでさえ奴の、魔族に喧嘩を売ったやり方を許しておく手もない。囚われているのが魔女のヤツの親友だろうがそうでなかろうとな」
「とかなんとか言っちゃってー! 素直に“小娘どもだけじゃ心配だから保護者同伴だ”って言えばいいじゃないですかー!」
「小娘どもだけじゃ心配だから保護者同伴だ。フン」
「……あれま。言いやがったよ、この店長」
「大体貴様は俺とタメ張れるくらいの実年齢だろうが。小娘面するな、ちっこいのはそこのエピタフィオン一人で十分だ」
「ちっこくたってまだまだ伸びるからね! でも、ありがとうね死神店長さん。
カーラも店長さんがいると頼もしいだろうしさ」
「……けっ、あの化け物女の動向など知ったことか」

不機嫌そうに空いたテーブルから順順に片付けていく店長、控えに制服を脱ぎに行くロゼッタに、勘定をこなしながら会計で寛ぐリーゼロッテ。粗方テーブルの掃除が終わると、閑静な店内で店長がぼそりと呟く。

「……此度の戦、一筋縄では行きそうにもないな」
「弱気ですね店長……?」
「何やら嫌な胸騒ぎがするのは俺だけではあるまい。
フランケンシュタインのヤツのことだ、何か……反吐が出るような罠が用意されていそうなものだが」
「十中八九、何か仕組まれているでしょう。
ですが……店長の言うとおりに、彼ら人間は我々には計り知れない力を秘めている。
彼らならば――絶望の中から救いを見出すことも、或いは」
「それが、貴様が魅せられた“可能性”か?」
「さぁ、どうでしょうかね。
でも中てられたのは確かなようです。確かに彼らと共にいると、何処か暖かい。
だから放っておけないのかもしれません」
「貴様も俺も堕ちたものだな……自分に全く関係の無い生に、頭を突っ込みたがる」
「死んでも死にきれないくらい長いのですから、そんな暇の潰し方があってもいいじゃないですか」
「……それもそうだな」

ロゼッタが出てくるのを待って、三人で店を出ると手のひらを翳して結界を張り直す。
そうして死神店長は街の外れ、聳え立つ廃墟を見やった。
陽光はまだ高く位置しているが、その一角だけ街の喧騒とは無縁のように静寂を纏っている。
行き交う雲もいつもどおりなのだろうが、いやに少なく寂しい気もした。
(この光景を俺は後何度見るのだろうかな)

「店長、どうしました?」
「いいや、なんでもない」
「……外れてくれればいいが」







街の外れ、人知れぬ閑静な区画に、魔女の巣食う廃墟は佇んでいた。
あたりには大小の工場が立ち並んでいるが、一目で分かるほどに天高く貫いていながらも行き交う人々はそこに何ら興味を示さず、そこに何が住居を構えているかも知らない。ただ漠然と視界に映るだけの、空っぽの塔。
それもそのはず、廃墟を取り囲む四方は数十年前から打ち捨てられ廃棄部品が散乱しているうえに、夜中では首の無い鎧が動いているだの尋常でない蜘蛛の群れが行列を成していただの、気味の悪いうわさが絶えないからだ。
勿論うわさには虚実入り乱れている。また魔女としても見知らぬ闖入者の立ち入りは快く思われないので、そのような扱いを受けていることは重々承知だった。
そのうちの元凶のひとつ――ノスフェラトゥは、鈍重な鎧そのままに薄い金属板の回廊を渡ってゆく。
想像を絶する重量で床は突き抜けそうだが、彼は慎重に歩みを進めてそのうちの一画の戸を叩いた。
中からの返事を受けて丁寧な手つきで開けると、暖色で広がる室内では魔女とその取り巻きたちがすでに集結している。
彼はやや遅刻したことを悟った。

「遅れた」
「鎧なんか着てるからよ」
「……外せんのだから、仕方あるまい」

不機嫌そうにそう嘯く横で、蟲男にオレグ、そして警部は既にソファーで寛いで賭け札に興じていた。警部がオレグの持つ札を怪訝そうな目で見つめて、待ちきれない煙草が少しずつ削れていく。
とても作戦会議とは思えぬ軽薄さにノスフェラトゥは呆れ果てるが、どうやら面子はそこそこに頼りになる連中が揃っているらしいことは分かる。
蟲使いに死神、そして幽霊パイロットに魔女と龍神と来たものだ。荒唐無稽の烏合の衆にもほどがあった。
だがどうして、彼らの連帯は強固なものだ。それは先のバベル戦で確認済みだった。

「じゃあ、野郎の皆さんは集まったことだし私は下に戻るね」
「ああ、こっちは任せておけ」と死神店長。魔女はかつかつと回廊を鳴らして下に降りてゆく。
日は僅かに傾き、朱に染まった鉄を駆けおりながら彼女は地下の扉を大きく開け、倉庫と思しきところに躍り出る。
そこには痺れを切らした義妹の欠伸が待ち受けていた。

「遅いよ~」
「ごめんごめん、じゃあ始めましょうか」
「それにしても旋律、女同士で集まるのはともかくなんだってわざわざ倉庫なの?」
アネットが不思議そうに首を傾げた。倉庫に鎮座している機械の上に腰かけ、足をぷらんぷらんさせている。
魔女は一瞬気まずい顔をして、申し訳なさそうに彼女の下に指を向けた。
「だって彼女、動かせないでしょ」
「へ?」
【お気遣い感謝します】
チルミナがいつもの調子で淡々と受け答えて、アネットは思い出したように納得するのだった。
契約としては一緒くただが、チルミナはオレグと分離行動できる。もともとの個体が二つだったからだ。
そこまではいいのだが、生憎彼女は人と同じように室内に入ったりすることはできない。不便な身体に生まれてしまったのは仕方がないので、こうして待機の際は魔女の住処の地下で休息を取っている。
幽霊なのに実体があるものだから、全幅が魔女の身長の十倍以上もある巨体では、車庫に出し入れするのも一苦労だ。
「あんたも不便ね……」
【いえ、これは生まれつきなので今更どうとも。皆さんにご迷惑をおかけするのは、些か忍びないですが】
「アネットも平然と腰かけない」
「いやー、すまない。つい手頃なところにあったもんだから」
悪ぶる素振りも見せずにぴょんと退いて、魔女は会議を開始した。
こほんと咳払いをし、全員が見えるところに腰を下ろすと、いつになく重々しい表情で口を開く。

「今回は私の独断だから……おりたい奴は止めもしないし責めるつもりはないわ。
何にせよ、分が悪いにも程があるからね。参加するか否かは慎重に決めてちょうだい」
「そんなに状況はよくないんだ」
ロゼッタの疑問に、魔女はゆっくりと頷いた。
何時になく重々しく、そして逃れえぬ柵にとらわれたかのような、深い絶望を宿した横顔。
余りにも彼女らしくない。ロゼッタはなんとかしてやりたかったが、彼女の事情にそこまで深く干渉できる立場でないことはよくわかっている。力になれればそれでよかった。
続けてリーゼロッテが問う。
「……敵の数は? 何か今までとは違う、抜き差しならぬ事情があるようですが」
「フランケンシュタインは、誰にも自分の施術した術式を奪取されないように厳重に警備網を敷いていたようよ。
だから……どんなに強大な力を持つ相手でも迂闊に干渉できないエリアに、その施設を建造していた」
「施設?」
「彼はバベルの構造をある程度把握していたみたい。そして自分がバベルで散った時に、自分亡き後にも計画を存続できるように新たな砲を建造していた。
つまり、神殺しの塔はもう一つ存在するのよ」
「……そんなバカな」リーゼロッテすらも動揺を隠せない。目を見開いて、その深淵では龍の血が湧き上がるように滾っている。
彼女が思っていた以上に、人智は神の領域に差し迫っているようだった。
再現不可能なはずの大過去の遺物バベルの複製。それは彼女の二千年の雌伏に対する宣戦布告に他ならない。
事実を聞いてしまった今、彼女とも関係の無い事情ではなくなってしまったようだった。

「私も最初は疑った。あの古代の超兵器が複製できるはずがないってね……。
でも失われた技術ということは、何処かにその残滓が残っていてもおかしくない。あなたたちが今もここにいるように……何処かでそれは人知れず眠っていたようね。それがあろうことか、あのクソ野郎の手に渡っていた」
「何もかも神の雷の前に消し飛んだとタカをくくっていましたが……そうか。くくっ」

瞬間、狼狽が押し殺したような笑いに変わる。
遥か古に神の怒りに触れ、灰も残さずに失われた天突く究極の術式。
それが今、決して赦されざる陰謀の手中にある。

これが、龍に赦されようか。
答えは否だ。
神が赦そうとも悪魔が認可しようとも、龍は、何一つ残しはしない。

彼女の瞳にかつてない敵意の焔が灯っていた、これほどまでに人間にコケにされるのは久しぶりだった。
人はやはり、侮れぬ生き物だ。どんなに脆くとも儚くとも、愚かでも。
百獣の王は兎一匹狩るのにも全力を尽くすという。どんなに弱い生き物でも、のさばらせるとロクなことにならないことを知っているからだ。
人はやはり、敵に値する生き物なのならば、全力を以て叩き潰そうではないか。

「よかろう、ふふん、いーですよ。人間どもがそのつもりなら。
貴様らがわたしたちの範疇を超えて神の領域に足を踏み入れるというならば、再び叩き潰してやりましょう。
今度は跡形も残さずに、有象無象見境なく完膚なきまでに圧倒し駆逐してやりましょう!
それでも起き上がるというならば何度でも何度でも何度でも……何度でも臓腑の海に沈め、炭化させてやる。そうでなければ宿敵などとは言えませんからねぇ」
「リーゼロッテ、それは――」
「はっ、ここまでコケにされてしまっては龍の示しがつきませんや。
カーラさん、力を貸してやりますよ。あんたの目的はなんだっていい、わたしは我が物顔でこの世界を握ったとか勘違いしてる愚か者どもの一片たりとも残さず消毒するだけです。
神を屠るのは我々でなくてはならない。地蟲はいつまでも地上を駆けずりまわってりゃいい。
神殺しの舞台に人間は役者不足だ。奴らめに、思い知らせてやろうではありませんか」

随分と鬼気迫る言葉で剣呑な表情だが、ともかく彼女は協力してくれるようだ。
魔女は一先ずはどうなるかと懸念したが、なんとか話はまとまったようで安堵する。

「ともかく。手短に作戦内容を言ってしまうわね。
吸血鬼ブランシュ・エーテル・コーディッシュの救出、そして第二バベルの完全破壊。
目標は以上の二つ! 些細なことは各自判断に委ねます」
「そのブランシュって人が……カーラの友だちなんだね」
「ええ。彼女は今バベル発動のための出力系の術式、つまり中枢に埋め込まれている可能性がある。
ヤツは止めるには彼女を殺すしかないといった。でも、なんとしても生存させてあげたい……だから、私は諦めるつもりは一切ないわ。
極端なことを言ってしまえば、彼女を助けられるのなら――世界がどうなろうと知ったこっちゃない」

それは迷いのない言葉だった。雷に打たれるようにそれはロゼッタの身体中を駆け巡り、そして感情の奥底に火をともした。

「……驚いた。カーラもそんなアツくなることがあるんだね」
「親友人質にとられて頭に来ない奴はいないわよ。
それに、私は別に冷徹でも冷淡でも冷静でもないし。ちょっとばかしエンジンのかかりが悪いだけ。
やると決めたなら何しようが目的は果たしてやるわ」
その言葉を飲み込んで、ロゼッタは頷いて立ちあがる。掌に拳をぶつけて、応えるように甲高く鳴らした。
「よし、カーラがそこまで覚悟を決めてるんならあたしも腹を括らなくちゃならないようだ」
「無理にとは言わないわ。決して勝ち目の多い戦いではないから」
「フフン、あたしが居ればその勝ち目ってやつも少しはいい方向に揺らぐだろ?
囚われの姫君を救出するのに戦力は多いに越したことはない。悪くない話だと思うけどね、姉上?」

万雷を纏って拳を鳴らせる彼女は得意げに鼻を鳴らした。ボブカットが宙にふわと浮かぶ。
こう言いだしたら留まるところを知らないのが猪突猛進の雷神娘の悪いところだ。魔女は何を言っても収まらないことをよく知っているから仕方なくため息をついて「気持ちは嬉しいけど、無茶しないようにね」と許諾の代わりに吐いた。
リーゼロッテが隣で冷やかす。
「我ら神様ブッ殺し隊の面々が揃えば百人力! 高々人間相手に後れを取るわけはありませんよねぇ、ねぇロゼッタさん?」
「お、おうさ! チルミナはどうする?」
【答えは言うまでもないでしょう。オレグは助太刀すると言っているので、私も同意見です。
この身に出来ることであるならばなんであれ、地獄の果てまで付き合って差し上げます】
淡々と答える姿は何とも頼もしい。
この場で答えが決まった二人と一機を除いて、暫し考える素振りを見せていたのはアネットだった。 
言ってしまえば、彼女は然程戦闘に向いているような術者ではない。本来日常での役柄が多く、護身程度に戦闘術を習得している。決して能力は低いわけではなかったが、魔女の言うとおりに抗争は熾烈を極めるだろう。
この場で降りてくれても、誰も文句は言わないのだ。
にもかかわらず、彼女の返答は違っていた。

「……旋律、本気なんだね」
「ええ」
「……そこまで言うのなら、私も加勢しないわけにはいかない、か。
後衛に薬師が居れば何かと都合がいいでしょう。オーケー、どんと任せておきな」
アネットの気風の良い返事。それを聞いて魔女の顔がぱぁっと明るくなった。
彼女との付き合いは時間にすればそれほど長いという訳でもない。ただ、世話好きなところには初対面の頃から好感が持てた。
今回は自分の戦いだからなるべく巻き込みたくなかったのだが、何処からか嗅ぎ付けてきたのが彼女だ。困っている同胞を見て見捨てておけない、普段は自由奔放な彼女をこの件に携わらせてしまうのは気が引けると考えていた魔女も、快活な答えを聞いて吹っ切れた感じがした。

「暑苦しいドンパチはあんたたちに押し付けるから、あんまり無理させないでよね」
「勿論よアネット、あなたが加わってくれるならより頼もしい限り!」
「まったくだ、人間なんだか悪魔なんだかよくわからん連中ばかり加勢にきやがる。おかげで駒にはほとほと困らん。
貴様もそうだろうフェノローサ? 後衛だなんて笑わせるな、逢魔の名を冠するその意味、忘れたなどとは言わせん」

アネットに手厳しい冷やかしを浴びせたのは、上階より何時の間にやら降りてきた死神店長。
上では既に話し合いは片が付いたのだろう。彼はゆっくりと視線の交差点まで歩いてくると、声を響き渡らせて宣告する。

「命知らずの地獄連中へ……決行の日取りは一週間後だ!
奴はどうやら長大な欺瞞結界を展開し、この世界で最も安全な都市の遥か上空に己の本拠地を置いていたらしい。
面倒をけしかけられる前に此方側から打って出るぞ。連合の首都上空に鎮座するバベルの出来そこないの模造品を叩き落とし、フランケンシュタインの野望をねじ伏せる。異存があるやつは出てこい、死にたくない奴は降りていい、以上だ」
「はいはいせんせー!」
「なんだ小さい方の小娘」
「バベルのコピーって言っても物凄い大きいんでしょ、そんなもの落としたら街に被害が出るんじゃない? どうするの?」
「ふん、そんなことか」 ロゼッタの質問に彼は鼻で笑って見せた。 
「確かに結界が崩れたら物理的に此方側の世界に顕在することになるだろう。
そして情報によれば四方2kmの超巨大要塞…圧倒的な質量だ、そんなものが地上に墜ちたら人間界への被害は免れん……ましてや突き崩すのは至難の業、そう思われても仕方がないだろう。
だがな、こちらにも奴らの想像を凌駕する切り札がある」 彼は目線を従順でない従者の下へと向けた。
「龍一匹あらば国を崩せるというのを忘れたか? あれは何も比喩ではない」
「え……」
「まぁ、なんとかなるでしょうね」 リーゼロッテの方もいたって冷めた返事だ。できないことはない、と言わんばかりに手を振ったのを、ロゼッタは呆れて眺めている。
「正直、ブッ壊すだけなら滅界殺戮マシーン同然のこいつ一匹で用は足りる。
ただ今回中枢部の完全停止、そして吸血鬼を救い出すことが目標に含まれているからな。
消し飛ばしてハイ終わりという訳にもいかん。龍の出番は最後の最後になる」
「それまではカーラさん他、人間の仕事ですからね。
人間同士の戦いはどうぞ、人間同士で決着をつけてください」

人の生み出した軋轢は人の手で決着をつけよ。
龍と死神の意見はどうやらそこで合致していたようだった。
フランケンシュタインが起こした一連の騒動は、彼ら超越的な存在である二名には他人事に等しい。だが、看過しておけぬのも事実だ。天界との抗争の決着は龍がつける、そして死神店長は守るべき魔界がある。
彼らは己の力が及ぶ影響を可及的に少なくしながら、手助けをしてくれている。
それが魔女の印象だった。
彼らは人とは違い、それに誇りを持っている。
だが見下してもいなければ、楽観視もしていない。対立しうる存在として、自己の領域を確保しながら動向を窺っているようだった。
店長は咳払いをし、改めて口を切った。
「まぁ、大まかに決めてしまったが一週間時間がある。後悔の無いようにじっくりと各々で作戦を練るがいい。
細かい指示を述べても貴様らには逆効果だろうしな……好きなように戦える用意をしておけ」
「まぁわたしカンストしてますんで? ごろごろしながら時を待つとしましょ……」
「リーゼロッテ、貴様はカンストしていてもいいから働け。戦力は足りているが店には人手が足りていない。帰るぞ」
「店長緊張感なさすぎです……」
「お前が言うなよ」

黒い霧が蝙蝠に化けて、死神コンビは姿を晦ましてしまった。
各々もそれを追うように、家路を辿っていく。
ただロゼッタ一人だけが、鎮座するチルミナの傍の樽に跨って、取り残されているだけだった。

【では静かになりましたので、私も夢の続きでも見てきましょうか】
「……チルミナ、あんたも夢見るの?」
【ふふっ……どうでしょうかね。気分というやつです。ではお休みなさい】
「うん、おやすみ」
そういってぷーんと何かが落ちる音がして、彼女のエンジンは急速に冷めきってゆく。勿論もう実体などなくて、彼女の再現、つまり言うところの気分的なものなのだろうが、それと同時ににぎやかだった操縦席には何も映らなくなっていく。ロゼッタは起こさないように静かに倉庫を後にした。












「カーラはどうするの?」
「私? 私は実家に一旦戻るわよ」

魔女からの返答はいやに簡素だった。
確かに、最高の状態を保つというのであればコンチェルト以外に相応しい場所は無いだろう。
コンチェルト家の屋敷は代々有事に備えて常軌を逸する備蓄をしている。そして彼女の修練に付き合ってくれそうな術者もたくさんいる。それになにより、もしかしたら次に会うことがかなわないかもしれないから――その判断は実に正しい。
彼女には彼女の、帰る場所があるのだ。
けれども、自分はそうはいかなかった。
エピタフィオンに帰る、それもいいだろう。家族は喜んで迎え入れてくれるだろうし、寝床も食事も大分贅沢なものに戻る。
たまには、それもいい。
でも――まだ成すべきことを成していない気がして。
ロゼッタはふらふらと警部宅を出て、閑静な公園のベンチへと雪崩れ込んだ。

ふと空を見れば、満点の星空。一週間後にはちょうど満月だろうか。
警部と会ったのも、こんな夜だった。

「うあー」

いらいらして、頭をかきむしる。豊かな赤毛が指に揉まれてあらぬ方向へと偏向していく。
自分には、いったい自分には何ができるだろう。
大事な人が、炎の中に飛び込もうとしているのに、自分はそれを見ていることしかできないのだろうか。
「最強の魔女」の称号も、親友の戦いの前にはひどく無力なのか。
こんな時に、いつも自分は空っぽだった。今までも、これからも。それがひどく口惜しい。憎たらしく思えるくらいに。
力が欲しい。
何もかもねじ伏せるほどに、圧倒的な。
この際邪でも悪魔と契約しても、なんだっていい。

「あたしって、何が出来るんだろうか。
ただのガキんちょなんだよね……結局。えばってたって、強がってたって、なんだかんだ言って、大事な時に何もできやしない。
ちっぽけな……ちっぽけなクソガキだ。はは、ははは」

乾いた自嘲。
親友は、自分の大事な人は。大事だと思える誰か一人のために、何だって恐れなく立ち向かえる。
何を犠牲にしたって突き進める。
自分が知るカーライアという魔女は、迷いの無いという意味ではひどく子供だけれども、それゆえに強い。
自分の力の、正しい使い道をよく知っている。
自分に何ができて、何ができないかをわきまえていて、そこから最良の選択ができる。
あたしはどうだ。
そう自問してみれば、まっとうな答えなど返ってくるものか。
何もできないガキんちょにしか、他ならないのだ。

「……あたしに、何ができるんだろうか。
あたしの限界はこんなところなのか?
……誰か答えてくれよ……。って言ったって、何も返ってこないんだよね。
そうか。自分では何も決められないから、誰かに訊くんだよね……」

誰かに決めてほしいのかもしれないが、こんな静寂を体現したような深夜の公園では言葉は吸い込まれていくように飲まれるだけだ。
いや、そのはずだった。

「くくっ、なんならその問いに、俺が答えてやろうか」

錯覚だろうか、目の前に黒い風が吹いて、人の姿が公園の中心――噴水の傍に現れた。
その姿、その声。覚えがあった、いや。ないはずがない。
だってあれは――

「あたし……?」

なんてこった、まるで鏡映しを見ているようだ。
そこにはロゼッタ・エピタフィオンの小柄な姿があった。
新手の敵の術式だろうか。幻術の類か。警戒してロゼッタはベンチから飛びずさり、距離を取って芝生から様子を窺った。
魔力空間を接合し、亜空から狙撃銃を二挺引き抜く。弾は入っている。
確かに姿かたちは自分のそれだった。だが――輪郭を縁どる節々と、和装とも言えるヒイズルの着物の袖口からは黒い瘴気が煙をあげて噴き出している。
何より、体色から髪の色まですべてが漆黒に包まれていた。

その“何者か”は馴れ馴れしい態度で、手を拡げて、緊張感の欠片もなくつぶやく。
「あーあ、嫌われたもんだ」
「……何者だ、あなたは。
あたしを真似るなんて、バカな術もあったもんだ。目的はなんだ?
フランケンシュタインの刺客か? なんなら本物と偽物の違いを教えてやろうか」
「そう殺気立つな、おチビちゃん。
俺を忘れちまったのか? 悲しいねぇ……」

馴れ馴れしい態度と、不真面目そうな口調。禍々しい漆黒の双眸。
声音こそは自分のものだが、忘れるはずもない。
黒い瘴気を撒き散らす、口だけの暗黒泥濘の塊の姿が脳裏に浮かんだ。

「……もしかして、マリス?」
「やっと思い出してくれたか。ささ、銃を降ろしな。
尤も、これから使うかもしれねーけどな。ヒヒッ」
「な、なんであたしのカッコを?」
「そりゃー簡単だ。
俺の本体はもう死滅しちまった。この世で俺のパーツが残っているとしたら――おめーさんに施した獣のプロテクトだけだ。
俺の欠片はどれも俺であって、俺でない……早い話が、スレイヴィア・マリスの最後の個体はおめーさんの体内に埋まってた。
意識を取り戻すまで随分と時間は喰ったが、代わりといっちゃなんだが随分魔力を頂いた。
こうして姿を現すことも出来るが――ダメだな。瘴気は全部おめーさんの輪郭の影響を受けちまってる。
声も姿も、おめーさんそのものになっちまったのはそれが理由だ」
「……ヘンな感じだけど、ともあれ復活おめでとマリス。
それで挨拶しにきたってこと?」
「いや、それもあるにはあるが、なんだか俺の宿主様が困っていらっしゃると思ってね……」
マリスは頬をかいて、ぶつくさとそんなことを口に出した。
自分と死闘を繰り広げていた時の邪悪な雰囲気はあまり見られないが――それでも目つきや言葉遣いの端々には、人に疑心暗鬼にさせる要素がふんだんに詰め込まれている。
全く屈託も無く話せるのは宿主たるロゼッタだけだし、それに照れ恥ずかしさを覚えているようでもある。
もうこの世に、彼の残せる痕跡など何一つとしてないのだろう、それに対する哀愁のようなものが表情には見て取れた。
それだけに、本来淘汰されてしかるべき自己が、未だこの世に――それも他人の肉体を介在して存続しているというのは、なんとも奇妙な感覚だろう。こそばゆい気持ちを誤魔化すように彼は続けた。

「おめーさんに何をすべきかは俺には決められんが、何が出来るかくらいなら教授も出来るだろうさ」
「具体的には?」
「そうさな……ひとつ指摘しておきたかったのは、あれだ。
お前さんには随分と無駄が多い。危うげだとも言えよう。
ご自慢の敏捷性も、有り余る火力もお粗末なもんだ。まぁ全く活かし切れてないというのが、傍目から見た感想か」

マリスの指摘にロゼッタはムッと唇を尖らせた。
無駄が多いというのは認める。確かに器用でもないし、丁寧とは程遠い性格であることも自覚している。
だが全く活かし切れてないというのは随分ではないか。
自分だって上位の術者であるという自負がある。それを負けた相手に指摘されるのは何とも不愉快だった。
挑戦的に、不機嫌を包み隠すこともなく、言葉は尖ったまま彼に叩きつけた。

「そこまで言うからには、相当な自信があるんだろうね」
「なんなら試してやってもいいぞ?」

意外にも返答は好感触。ロゼッタは辺りを見回した。
人気の無い深夜の公園、被害は抑えられ、手合いをするには面積は充分。相手は自分の手の内をよく知っているだろうが、こちらも全く相手を知らないというわけではない。条件はイーヴンだ。
何よりも、久しぶりに、それも利害や感情を抜きに純粋な闘争が楽しめるというのはいい気晴らしになる。生来より好戦的な彼女にはそれがたまらなく好都合だった。
今宵はいい準備運動が出来そうだ。
両手に臨戦の雷を携え、彼女は獣のように身を屈めて震えた。
過る風が螺旋を描き、激しく木の葉を呑み込んで掌に収束する。宿る雷を銃身に伝播させ、発射時の加速を累乗させる。
月夜の光が雲の切れ間から光る瞬間に、彼女は跳躍した。あふれんばかりの雷球を携えて、宵闇の奥底から強襲する黒豹のように飛びかかる。
高らかに飛翔し、相手の視界を振り切って頭上から銃口を向け、斉射。
無数の弾痕が降り注ぎ、煉瓦と芝生は引っぺがされたように爆風に揉まれた。
だが――奴はこの程度で吹き飛ぶタマではない。一度お互いの死力を尽くしたロゼッタには分かる。
案の定、爆炎の中心には毅然として彼の――正確には自分のだが――姿が立ち塞がり、下品な笑いを浮かべていた。

「手を抜く必要はねーぜ? 殺す気で来なよ」
「……言われなくたってそうしてやるさ!」

落下の慣性を纏い、飛びかかる最中にも依然両足の間から銃口を向けて乱射する。
二挺の長大な得物は、彼女の華奢な体躯ではとても支えきれないような反動を伴いながら弾丸を吐き続けていた。
大型の口径にも関わらずそれを目視ですり抜けるように回避するマリス。半身だけの微細な動作で正確にいなし切る。距離を取っていては決着をつかないと悟り、銃を亜空に放り投げて拳による肉弾に切り替える。
振りかざし、雷球の出力を一気に引き上げ、胴体を穿つように突き刺す。ここでマリスは初めて片手を持ち上げ、その掌に魔を灯した。
ロゼッタの蒼白い光とはまた違った、漆黒に呑まれた稲光。禍々しい発光。それを突きつけられた拳に重ねるように開いて、両者は衝突する。
辺り一面を覆い隠す強烈な閃光と共に爆音が轟く。その衝撃から放り出され、逆さまのまま背面の並木に叩きつけられたのはオリジナルの方だった。

「……うぅ~」

一拍置いて、思い出したように木からずり落ちて頭をぶつける。怪我のうちにも入らないが、精神的には中々大打撃だ。
渾身の一撃を呆気なくも弾き返した張本人は変わらず噴水の傍でからからと笑っている。
気を取り直して泥を払い、再び眼前に据えると吠えた。

「マグレだマグレ! さぁもう一度!」
「悪いが何度やっても結果変わらんと思うぞ」
「なんだって?」
「お前さんと同居させてもらったんだ、大概の動作パターンはもう把握済みだ。
後はそっちの出力に合わせてこっちでちょちょいと細工をしてやれば、単純な殴り合いで打ち負けることはなくなる。
何よりお前さんの魔力は……どうにも荒削りでお粗末だ。その精度を何とかしないうちには、借物のこの身体でも相手にならねぇぜ?」

優雅に肩をすくめる。憎たらしいその顔に俊足で踏み込み、もう一撃。
右から、左から。足払い、蹴り上げ、反り返った反動で鳩尾狙いもしてみたが、予知しているように彼はすり抜けた。
どうやら全く根拠なしに忠告しているわけではないらしい。一旦飛び退いて、ロゼッタは考え直すように黙ってしまった。
彼の言うとおりに、自分にはまだまだ何かが足りない。
それは才能に溺れたツケなのかも知れないという結論を出し、それを呑み込むまでややあった。
認めるということは、やっぱり痛みを伴う。それに久しぶりに気づかされる。
しかし、弱い自分を認めなければ先に進むことすらままならない。苦しい選択だ。

「……マリス、あたしには何が足りないんだって」
「お、ようやく聞く気になったかい。嬉しいねぇ」
「あんたは元はと言えば魔力の塊だった。悔しいけど、その操作と制御に関してはあたしよりもずっとよく知っているはずだ。
そのあんたが、あたしには荒削りで足りないものが多いと言ってる。だからそれは事実なんだろう。
あたしは……何が何でも強くなくちゃいけないんだ。それがエピタフィオンの家訓だ。カーラと生きるために、必要な要素だ。
足りなければ補うし、そのために努力だってする。終わってからじゃ遅いんだ、あたしは今ここで進まなくちゃいけない。
だからマリス――あんたと出逢えたこと、ほんのちょっぴりだけど感謝してやるよ。
……宿敵は強くないと、やり甲斐がないからね!」

雷球を膨れ上がらせ一投、視界を塞ぐそれに追従して一気に背後に回り込む。
それでもマリスの反応は俊敏だった。眼前に迫る雷球に同じように稲妻の棘を当てて破裂させ、振り向いて拳から身をそらす。
二手三手叩きつけても、全く動じもしない。――やはり何かが彼には見えている。
鏡のように猛攻をすり抜け、鏡のように自分と共に静止する。本当に分離した個体とは思えないくらいに彼は動きを合わせてきた。
落着きもすれば話も出来る。肩で息を切ることもなく、彼女はじっくりとマリスを観察した。

「おチビちゃん、なんで避けられてるんだって顔してるな」
「……そりゃ疑りもするだろ」
「一つヒントをやる。
この貧相な――山も谷も無いのっぺらな身体は――」
「貧相言うな!」
「おおっと、ついつい本音が出た、失敬失敬。
まぁ、居心地はいいがね。四六時中意識が並列されてるってのはむず痒いものがあるが――」
「へっ!? 今なんて言った!」

四六時中、意識が並列されている。
聞き捨てならない単語を耳にしたロゼッタは一瞬マリスを取り込んだことを悔やんだ。
仮にも花も恥じらう十七の乙女は、あろうことか化け物と一日中一つの身体に同棲していたらしい。
風呂とかトイレとか、後は自分だって聞きたくない恥ずかしさ極まり無いセリフとか――そういったものも、全部筒抜けなのか?
そう考えると、ロゼッタは無言で銃口を自分と同じ身体をした化け物に突きつけた。冷たく鈍く、月光を浴びて輝いては無言のうちに答えを語る。
飄々としていたマリスの表情が一瞬凍りつく。
「……おい、ロゼッタちゃん?」
「マリス、ごめん。死んでね」
「ちょっと待て、落ち着け」
「これが落ち着いてられるかってんだ! あれもこれもそれも全部全部見られってんなら――もうあたしにはこれしかない!
あんたをブチ殺して記憶抹消、万事解決! さぁ屍を乙女の純潔に捧げよ、その尊い生け贄に!」
「あーあー、地雷踏んじまった。聞いちゃいねーな……」
やれやれと仕方なく手を振るが、皮膚の表面を凄絶な速度で何かが攫っていった。破魔の銃弾がすぐ脇を掠める。
……どうやら本当に、聞いちゃいないらしい。マリスは冷や汗をかいた。

「……殺る気になってくれたのは結構だがねぇ……当たらんもんは当たらんぞ」
「? どうしてそう決めつけるのさ?」
「お前さんに話をぶった切られたんだが、今の俺の身体はお前さんの分体なわけだ。
よって、能力面でもベースであるお前さんと殆ど違いはない。動体視力、反応速度、それに身体の癖やら動作前のちょっとした仕草、後は魔力の多寡や性質までね。随分長居させてもらった分細かいところまで大体の都合は把握しているわけ。
同じ能力を持つ術者同士がぶつかったら、どうなると思う?
……いつでもオリジナルが勝つとは、限らねぇんだぜ」

不穏な一言と共に、足許から影が縫った。
それがマリスの攻撃動作だと気付いた時には既に遅かった。黒い影は蔓のように絡み付き、あっという間に身動きを封じてしまう。
宙ぶらりんに吊り上げられたロゼッタはもがくが、マリスは至ってすまし顔に首を傾げた。

「とまぁ、こんな風にな」
「……くっ!」

四肢を乱暴に振り回しても、全く解ける気配はない。彼の足許、影になっている部分から具現を伴って伸びてくる黒い蔓は幾つもうねりを利かせながらマリスの周囲を警護している。
自分の肉体と同じものを手に入れながら、彼の生前の術式もしっかりと記憶しているのだ。自分の姿が思い出せないとか輪郭が影響を受けているなどというのは、おそらく殆どが虚偽に近いのだろう。そして彼が嘘をついているのには、意味がある。
「自分」を模すことで彼は敵愾心を煽っているのだ、それは暗に自分に本気で闘えと諭しているようでもあった。
……なればこそ、自分は彼に応えなくてはならない。報いなければならない。
自分を模倣した彼を超えられないようであれば、自分はいつまでもガキのままだ。
鏡を打ち破ることで何かを乗り越えられるのならば、何枚でも叩き割ってやる。

拘束された拳の炸雷が蒼白い光を放って、膨れ上がっては爆ぜた。
爆音と眩い白の中枢では、黒い蔓を焼き破ってロゼッタがうずくまっている。煙が晴れる頃には顔をあげ、瞳と拳に膨満した魔力を術式に練り合わせていた。迸る雷撃干渉。流れるように発光する呪詛文様。瞳孔は獣のように縦線を描き、鬼のように吼える。
瞬間的な形勢の立て直しに、マリスが舌を巻いた。ピリピリと伝播する電子の蠕動が鼓膜を焼く。

「ほう、そうこなくては」
「……行くよ!」

それだけ言って、言葉を取り残す速域でロゼッタは駆けた。蒼い閃きが蛇行しながらマリスに肉薄し、護衛の黒い蔓を爪で薙ぎ倒しては掌の前で蒸発させる。切り返しの瞬間に瞳の残光を曳きつつパンプスの踵から花火をあげ、マリスの手から放たれた黒い槍を回避。
地に突き刺さるそれを尻目に加速を累乗、残像と残光とが入り乱れる隙間を縫う。爪に燈した必殺の雷撃を膨れ上がらせて至近戦にもつれ込ませる。
マリスの対応は素早かった。両手で魔方陣を描き切り、踊るように旋回すると踵で地面にも方程式を穿ちこんだ。
両者の出力を繋ぎ止め、ギリギリまで干渉させ融合させて十字を象らせる。剥がれる文字列を吸い込ませ、それを頭上からロゼッタ目掛けて叩き落とした。
寸前での危険察知。飛び退きながら目で追う。足許から両手に連動させた一連の始動形態と十字は見覚えがあった。炸裂した瞬間、公園の煉瓦は無残にも無数の分裂弾に抉り取られて粉微塵に消飛ばされる。
――簡易ではあるが、あの術式は間違いない。
リーゼロッテが目の前で一回だけ解き放った、龍に伝わる煉獄の籠。それを電子で変換して、小規模ではあるが放ってみせた。ロゼッタは畏怖し慄いた。
魔女の、魔導士の界隈で術式を真似するというのは実に困難なことだ。
相手がどういった理論でそれを紡ぎ、魔力の遺伝子をいかに組み替えて複雑で強烈な現象を巻き起こすかが――彼らの腕の見せ所であり彼らが己の術式に絶対の自信を持つ所以でもある。一度見聞きした程度では、術式の理論や思想を完全に理解することなどできはしない。本来であれば、コピーなどという真似は不可能に等しいのだ。
にもかかわらず、眼前の魔物はやってのけた。
洞察、そして理論の解体から再構築。それどころか彼女の炎を雷にアレンジした、簡易コピーとも言うべき大技の模倣。
改めて、自分が滅ぼした個体の脅威を再認識する。そして彼は「自分にもできるから」わざわざやってのけたのだ。
でなければ、能力が均衡させている意味が無い。どこまでも策士だった。
「ふむ、意外とうまくいかないものだな」 彼は自分の成果が今一つだったように出来上がったクレーターを見やった。
わざとらしい。だが、彼には感謝した。
自分には……まだまだ限界など見ている場合ではないのだ。甘かった。まだ天井すら見ていないうちに、自分で天井を決めていた。
身体が震えてくる。まだ見ぬ可能性を彼は存分に行使しているではないか。それも自分の身体を図々しく借りておきながら。
相手の方が幾段も上ならば、意欲も湧いてくるもの。張り合いがあることは実に素晴らしい。

「マリス、それは――」
「ああ、お前さんにも出来るぜ。少しばかりコントロールには手間がかかるがね」 悪戯っぽく燻る煌めきを掌に潰す。
「なんかあんた、すっごくヤナヤツなだけかと思ってたけど、やっぱり術者としての含蓄は一流だよね~」
「ひでぇ言い草だな、オイ」
「いやぁ、これでも素直に感心してるよ。応用力の幅じゃマリスには全然敵わないわけだ」
「ヒヒッ、そうだな。やりよう如何ではお前さんの身体も乗っ取れるしな」

目を真ん丸にした。そして次の瞬間にはそれが冗談ではないことを悟った。
彼はこの身体の所有者である自分よりも――遥かに効率的に使いこなしている。悔しいが事実は事実だ。
確かに取り込んだ時に、どうしてその可能性を脳裏に浮かべなかったのか。彼はいつだって自分の身体を好きにできた。
肉体の所有権を占有して、悪行三昧に精を出すことだってできたはずだ。
しかしそれをしないことも、また彼らしい。
信じていたから、そう言ってしまえば随分と陳腐になる。それでもロゼッタは自分が彼を取り込んだことに一点の曇りもなく、後悔など微塵も残していなかった。
易々と身体を貰って、それを言われるままに享受することを許容するほどスレイヴィア・マリスという魔物はプライドを捨てていない。そういう生き物なのだ。そして自分の中で暫く暮らしていたことで、何か少し変わったようでもあった。

「おいロゼッタちゃん、お前さんは先程願ったな?
空白を埋め尽くすほどに、何もかもをねじり潰すほどに圧倒的な魔力。
幸いお前さんにはその素養があるようだ、やり方如何によっては俺が手伝いできなくもない。
勿論、代償は高くつく。最悪お前さんの理想やら世界やらからは180度乖離しちまうかもしれん。だがその分の働きはするつもりだぜ」
「マリス……」

ロゼッタは拳を合わせる。何を犠牲にして何を掴むか。本当に守り通したい芯は何か。
それのために、魔女になったのではなかったか。欲しいのは最強の名でもなく、技量でも絶対に勝利できる要素でもない。
守りたいもののために抗い、打ち勝ち、守り抜くそれだけの力。
それに一番近いのは――ほかならぬ、目の前に佇む不滅。
人が永劫に欲してなお冷めやらぬ、存続することそれだけのために魔道を逝く覇者の姿。
拳を向け、再び稲妻を燈す。覚悟はとうに決まった。今更に捨てられるものを選ぶほど余裕もない。がむしゃらに――前に進もう。

「肚が決まったよ。いいよ、何だって受け入れてやる。正義だの悪だの知ったことか。
あたしにはあたしの、やることがある。地獄の果てまで続く茨の道だ。でもそれは……あたしじゃないとだめだ。
そのためには、何だろうが失ってやる」
「フン、いい返事じゃねーの」

拳を突き出す。そして吼える。
何処か遠い昔に聴いた、その言葉。

「契約だ、スレイヴィア・マリス!
エピタフィオンの器、見せてやるよ。不滅だろうが不死身だろうが、悪意の塊だろうが骨身になるんだったら幾らでも貪ってやるね」
「もう二匹も神魔を抱えたうえで、さらに重荷を負う覚悟があるのか?」
「言ったろ、もう地獄への片道切符なら改札通しちまったのさ。
あんたを取り込んだその時から、些かも変わっちゃいない。あんたを血肉にしてあたしは進む。それでいいだろう?」

今度はマリスが目をぱちくりさせた。
深夜の止まった噴水の台に悪魔像のごとく腰かけていた彼は、からからと楽しそうに笑った。
そうして笑いが止むころにはすっかり企み顔になって、ロゼッタを見下ろしている。双眸は何か含みごとがありそうで、実は楽しんでいるだけのような、不思議な笑みだ。邪悪と言えば、その通りかもしれないが。
同じ顔をしているのに、よくもこれだけの表情ができるものだ。その辺は鏡と少し違った。鏡には映らない自分の顔が見える。

「まぁ、宿主様のピンチであるからには俺も生きるために最善は尽くさなきゃいかんわけだ。
地獄の果てまで御一緒するのは避けられないかもしれんなぁ、ククッ」
「毒を喰らわば皿までって言うだろ? もう今更引き返せるものでもないし、たまには真っ直ぐ突き進むことも大事じゃないかな」
「明確に直情径行な理論だな」
「元からむつかしいこと考えられるほどおつむがよろしくないもんでね。生憎真っ直ぐ進むことしか能が無い。
で、続けるんだろ? 折角邪魔の無い宴だ、派手にいこうぜ」

亜空から再び銃身を引出して、両手に収める寸前にカートリッジを頭上の月に被せるように円を描いて放り投げた。
廃棄、装填。それが眼前に降りてくる瞬間に両手の銃はXの字を描くように引き起こす。落下した弾倉は銃に食らいつき、新しい碑弾を咥えて冷たく虚空を向く。それを膂力で支え、双つの銃口は寸分の狂いもなくマリスの軸を捉えた。

「授業料は鉛玉でどうかな? 特注だよ」
「よろしい。見事当ててみせるがいい」
「……マリス」
「なんだ」
「あたし決めたよ。
迷うのも、躊躇うのも、人間だからつきものだ。
考えるのを放棄したら終わりだし、それは違う気がする。
自分が弱いってわかってるし、だからってそれをただ受け止めたら壊れるだけだ。
それなら……幾らでも悩めばいいんだ。幾らでも悔やんで、幾らでも折れてしまえばいい。
でも、壊れたままじゃダメなんだ。いつか立って、歩いて、乗り越えなくちゃいけない。
でもそれが出来るのが……いや! やらなくちゃいけないのが、人間ってやつだよね」
「…………」

マリスは暫く考えるふりをした。ふりなのか、それとも本当に何か思うところがあるのか、顎に手を当てて目は虚空を剥いていた。
彼も、原形を忘れるまでは人だったはずだ。その記憶の端に、何かが引っかかるのかもしれない。
彼にしては珍しく、軽口が絶えた瞬間。
それが過ぎ去ったと思えば、にやりとしていつもの不敵な笑みに戻っている。
感心したようだし、バカにしているようにも見える。不思議なやつだ。

「……マリス?」
「ふむ、面白いな。おつむが弱いなりに、よく考えているようだ」
「余計なおせっかいだ、自覚はしてるけど!」
「しかし……一理あるのも事実だよ。
その通り、人間はいつだって踏破しなくちゃ気が済まない生き物だ。
弱いし脆いしとことん愚かでどうしようもなく救い難い……が、そうでなくては我らの敵は務まらん。
人をいつの日にか辞めた者として、人であり続けるお前さんには、フフン。敬意を以てここで叩き潰そう」

マリスの腕から雷が爆ぜる。
黒い閃光の螺旋は次第に烈しさを増していき、マリスの足許を引っぺがす勢いで渦を巻いていた。
彼を護衛するように幾本かの触腕が地面から生えてきて、バリケードを構築している。
自分が積み重ねてきた雷閃の術式と、マリスの侵蝕する影。
彼はどうしてこんなにも人を簡単に真似ることができるのだろう。それが眼間と脳裏をちらついた。答えはきっと、簡単だ。
彼は人であり続けたかったのだろう。人であることを辞め、人に憧れ、それゆえに憎んで化け物を貫いてきた。
人であり続ける。それは難しいことだし、現に彼は捨ててしまった。だが生き続けることとの天秤から零れ落ちてしまったそれをいまだに求め続けている。
きっと、生きていることが眩しいから、彼は優しいのだろう。
本人は多分、否定するだろうけれど。
そう彼女は思っていたのに、あっさりと折れたのはマリスの方だった。

「ククッ、まさかこんなガキに気づかされることがこんなにも多かろうとは」
「……え?」
「お前さんの身体に閉じ込められている間に、随分と色んなことに気づかされた。
戻れないから、何処までも他を犠牲にしてきた結果がこれだ。
俺に大事なものは何一つとして手元から砂のようにすり抜けていっちまって、何も残らなかった。残らなかったはずなのにな。
皮肉にも俺は滅ぼした相手の身体にだけ、こうして生き延びてやがる。
お前さんにはまだ守るものがあって、まだ人でいられて、なんだろうな。乗っ取ろうとか最初のうちには考えていたもんだが、そのうちすっかり忘れちまって。
……素直に羨ましいと、そう思うよ。俺もそんな風に生きてみたかった。
ずっと生きてるなんて、そんなのさびしすぎるからな。知ってるやつもそうでない奴も、俺を憎んでるやつもみんな骨になってゆく。ただ忘れられるだけだ。永劫に生きるっていうのは、言ってみりゃ最初から死んだままなのさ」
「……マリスも、あたしなんかよりずっと色んなものを見ているのに。不思議だね」
「はん、ずっと汚い面ばかり見ていただけだ。
人間のくだらねー部分ばっかり目が行って、自分はああなるまいとしていた。そうして生きることと死ぬことから逃げた。
だが、残ったものはなんだ? 何か残ったら救いだってあるかもしれないのに、俺には何も残らなかった。
罪悪感も、憎悪も、哀しみさえも。悪意の渦に呑み込まれていく……どろどろになって、形も留めなくなって……そんなのに耐えられるか」
「マリス……」

初めの彼は、どういった人間だったのだろう。
どんな人生を送って、どんな仕事をして、どんなことに夢をもって、どんな人を好きになっていたのだろう。
彼はどんな煉獄の中を、独り櫂を漕いで行ったのだろう。
訊いてみたくても、彼自身がおそらく覚えていない。だから誰も知ることができない。
誰かにも、忘れられていくだけだ。
何も、残せない。

それはとても、哀しいことだ。

なのに、耐えきれないくらい、重い十字架なのに。
彼は笑ってみせた。

「ところがロゼッタちゃんよ、俺は今の自分がそんなに嫌いじゃねぇ」
「……それは、どうして?」
「すっかり空っぽになっちまった。昔の事なんて覚えてねぇし、何にも出てこない。
だがお前さんの中で随分と面白い連中を見てきた。それと共にいて、お前さんも面白いことをいっぱい考えてる。
その上、俺を受け入れようなんて言ってくれた奴は……そんな馬鹿野郎はお前さんだけだからな。
覚えてもらうだけで、俺はもう実は、死んでもいいくらい満足なんだよ」
「……それは光栄なことだね、ありがとう。でもマリスはもう、死ねるのかな?」
「大分不死の呪も弱まった。お前さんの肉体が死ぬその瞬間に多分俺も消滅するだろう」
「悔いはないの?」
「あーあー、バカを言うねぇ。“やっと”死ねるんだぞ?」

裏の無い心底に満足そうな笑顔。楽しそうで楽しそうで、揚句魔力が形を成して涙まで出てきたようだ。
彼にとって、終わりとは絶望ではない。
ロゼッタはなんと声を掛けていいのか分からなかった。たかだか十七の小娘に、永劫に等しい時間を生きてきた彼の悩みは所詮別次元だ。
それでも、彼が間違いなく良い方向に向かっているのは実感できた。

「だがな、一つやり残したことがあった。なんだか分かるか?」
「全然見当もつかないや」
「……恥ずかしいけど笑うなよ?
俺はな、宿主様、あんたの夢が叶ってくれりゃ、それで役目は終わるのよ」

ロゼッタはなぜだか赤面した。
日頃から思考だのが一つの器で同棲しているのだから、何を考えているかは御見通しのはずなのに、
自分からはマリスの方はさっぱり見えない。それどころか、向こうからは素っ裸もいいところだ。まるで仕掛け鏡だった。
裸を見られるよりも数百倍、心の裸を見られる方が堪えるに決まっている。
構わずに彼は続けた。

「居候させてもらってる身で、お前さんのお役に立たないってのはちょっと居心地が悪い」
「いいよいいよそんなの、むしろ責任取って出てけよぉ!」
「ひでぇや……」
「まぁ、別に居たかったらいつまで居てもいいけどさ」
「本当の事を言うとな、俺も少しは目標を持って生きようか、とね。
そんなものはなかったからな、今更おったてるわけにもいかねぇ。
でも、お前さんの事は気に入った。お前さんにはなんだか、ハッピーエンドを迎えてほしいと思ってる。
だから俺はやれることをやるまでよ、それが“覚えてくれている”ことに対しての俺の恩返しなのよ」

何時になく真摯な言葉。
素直に受け止めるには、少しむず痒いくらいの。
面と向かって言い合うにはもどかしかった。
だからロゼッタは銃口を持ち上げて、快活に返す。
お互いこっちの方が語りやすいのはよくわかっているからだ。

「……ふふっ、そんな水臭いこと言って」
「俺も数百年生きてて初めて口にしたんだが、やっぱりダメだ。ガラじゃねーや」
「じゃ、今日も元気に殺し合いますか」
「そちらの方が幾分か健康的だな。悩む暇がなくて助かる」
「……マリス、ありがとう」
「ハッ、礼なら全部終わってからいいやがれ。
それに言わなくちゃいけないのは俺の方だ、小娘め」

月は随分高くに上がっている。
黄金に輝く欠けた円が浮かび上がり、それが雲の切れ間から出るのを合図に二人は各々の雷を擡げた。
黒い煌めきが、空気に弾けて消えてゆく。その奥底にスレイヴィア・マリスは何か懐かしいものを見た。
靄のかかったような、ピントの合わない空間だった。
顔もぼんやりとして、よく見えない。幻覚だろうか。
あの小娘と記憶が入れ違ったのか? 疑ってみても、結局なんなのか正体は掴めなかった。
ただ、よく陽の当たる――何処かの村の白亜色の、軒先。
小娘の時代とは違いそうだ。もっともっと、何百年も前の記憶の切れ端。
(これは俺の記憶か……?)

男の机、研究用の羊皮紙の切れ端と、大量の魔術書。
恐らく魔導士か何かの職で、寝食を惜しんで研究に没頭するタイプなのだろう。
奥方と思しき、明るい色の髪が心配しているのか声を掛けてくる。何かを言っている。耳を澄ませば少しずつ聞こえてくる。

「……あな……、程々にし……いと身……を……しますよ」
「もう……ぐ、もうすぐ……んだ。
……を全く衰えさせずに、……の時間だけを止める術式が完成す……」
「……も、それって……ないのでしょう?」
「……なことはない。全て古代魔術の復元、理論……に事は運んでいる。
この研究が王に認められたら、お前とももっといい暮らしができるようになる。
元々奴隷上がりの俺が、こんな王宮の施設で働かせてもらうだけ魔術の才能があったことを神に感謝したいね」
「私は今の生活で満足していますよ」
「何を言うか、お前にはたくさん苦労を掛けた。
もっと綺麗な服や髪飾りをつけたり、もっとおいしいものを食べる機会があったはずなのに、一番女らしさを保てる時期に俺は何もできなかった。
これはお前のための研究でもあるんだ、俺はお前にいつまでも美しく居てほしいからな」
男の真摯な言葉。しかし妻は他愛なく笑う。
嘲りではなく、穏やかな表情。男は怪訝に返す。
「何がおかしいんだ?」
「不老不死なんて、そこまで望んではいませんよ。
私はあなたと一緒に年をとって、あなたと一緒に生きて、あなたと一緒にお墓に入れればそれでいいんですから」
「何を言うか。そういう控えめ過ぎるところがな――」
「でも、じゃないと一緒にいないでしょう?」
「……ぐう、それもそうか」
「だから、今のままできっといいのです。
多くを望み過ぎることはありませんよ、時間をかけて、少しずつ前に進めばいいじゃないですか」
「お前は時折、面白いことを言うな。学者の俺に説教か」
「私はそんなに頭がよくありませんから、説教だなんてそんなそんな。
でも、みんなが幸せに暮らすにはどうしたらいいかは、いつも考えてますよ。
お腹の子と一緒に暮らす日が……もうすぐ来るんですから」
「ああ、その時までにはもう少しマシな暮らし向きに――」
「ふふっ、あなたは頑張りすぎですって」
「そういうものかなぁ、メル?」

少しずつフェードアウトしていく、何処かの風景。
マリスは考えた。その名に、確かに聞き覚えはあった。

(メル……果たして、最後に聴いたのは何処でだったか)

自分が逢ってきた女なのか。
自分が殺めてきた女なのか。
もしかしたら両方かも知れなかった。
恐らく清算のできない過去なのだろう。もう、どうしようもないくらい昔の、いわば幻だ。

自分は何者なのだろうか。
何処で何をして、どんな過ちを犯して、今の姿になったのだろうか。
何も思い出せないというのは免罪でもあり、そしてまた罪悪に他ならない。
所詮は永劫に過去に縛られて生きる生き物だ、もう今更捨てようとも、清算しようとも思わない。
だが――たった今気づいた。ひとつだけ。

(……ふふ、そうか。
誰かに似ていると思ったら、そうか。
何処かで聞いたことがあると思ったら、そうか……)

自分の手の届く範囲の世界だけは、なんとしても守ろうとした女、か。
どうりで既視感があるわけだ。
……そして自分はいまだに、あの時と変わらずにいるのか? それは違った。

呆けていれば眼前にロゼッタの爪先が肉薄してくる。猛獣のように果敢な、望みを掴むための刃だ。
マリスはそれに受け答えるように吼えた。

失うものは全部失った。
力なら掃いて捨てるほどある。
だが、まだ成し遂げなくてはならないことが残っている。
不死だったものにしか、出来ないこともある。
それは――

「……もう繰り返すこともねぇ。悲劇などとうに見飽きた。過ちももう散々だ。
だから、今度ばかりは、逃がさねぇ……何もかも終わらせてやる。行くぞ」

見届けることだ。











鬱蒼と生い茂る深緑の奥底に、その建物は見えてきた。
古城と見紛うほどの外壁を持つ、コンチェルト家の屋敷。樹木に喰らいつかれていてもなお苔むした城塞は厳重な術式で加工され、外敵の侵入をことごとく退けている。
魔女は久しくその門前に立っていた。
もう何年も帰ってこなかったのに、いざ前にすると全く変わり映えのしない家だ。そして主の帰還を感知したのか重苦しい扉が横に開く。軋みと埃をあげながら開き切ると、燕尾服を着た初老が迎えに出ていた。
昼下がりの陽光が石造りの中庭に反射して眩しい中に、爺が一人ぽつんと立っている。

「お帰りなさいませ、カーライアお嬢様」
「ただいま」
「……実に数年ぶりですな」
「爺の顔はもう見飽きてるけどね。
たまには帰ってきたくもなるわよ。今回は事態が事態なだけに、親の様子くらいは、ね」
「お嬢様らしいお言葉ですな。
お荷物はこの爺めが運びます故、ささどうぞ中へ」
「うん」

執事と並歩していきながら、中庭から懐かしの我が家を眺めて回る。
流石は歴史の陰で戦いを司り続けてきただけはあり、数年での変化は殆ど見られない。居住者に対してやたらに領地が大きいのも今まで通りだ。爺曰く、四百年前の魔女狩りの際でも暴徒に襲撃されようがびくともしなかったらしい。全く自分は、とんでもないところに生を受けてしまったものだ。魔女は我ながらに呆れた。
だが太陽の下、広大な屋敷内で爺と二人だけしか見られないのは中々にさびしいものだ。

「姉上は?」
「リディア様ならアリッセルで開催中の議会にご出席されております。
バベルの攻防でかなり人員を消耗致しましたからな、他の魔界と協議の末、これからの人間界との交流方針を決めていくのだとか」
「相変わらず忙しいお方ね」
「何、お嬢様にはお嬢様の仕事があるのでしょう?」
「……そうね。万が一の事もあるから、父さん母さんの顔くらいは見ていたってバチは当たらないわ」
「お二人もさぞ喜ばれると思います。
それと、お嬢様に万が一はこのベルンハルトが起こさせませんので、そのつもりで」
「爺、あんたも変わらず自信家ね」
「自信家でなくてはコンチェルトの執事などやっておられませぬ」

慇懃で不敵な笑み。この紳士は屋敷と同じく、時間が止まったように変わらぬままだ。魔女もだからこそ安心して任せられることがある。紅の絨毯を進み、重い扉にノックを二回。記憶がたしかなら、明るい白亜に包まれた食堂が目の前にあるはずだ。
そこではよく見知った――懐かしい両親の姿があった。魔女を見るなり驚き、一瞬でそれは笑顔に変わった。

「……カーラ!」
「ただ今帰還いたしました、母上、父上」
「そんな堅苦しいこと言わないで、さぁ座って。
ああ、何年ぶりかしら! あなたがコンチェルトから離れて生きるって言ってから、もう何十年も経ったような気がするわ」

席を立って、近くまで歩いて頬に触れる。久しく見る母の姿は――こちらも相変わらず衰えていない。
流麗な金髪に、茶色の瞳。知らない人が見れば魔女の歳の離れた姉のようにすらとれる容貌だ。しかしさすがにもう落着きを見せたのか、年相応の肌になりつつある。
魔女は言われるままに腰を下ろし、あたりを見回した。三人目の料理がキッチンから銀色の台車に乗って出てきて目の前に置かれる。
母親は紛うことなき魔女だが、父に関してはその辺の一般人と変わらない。
若いころから誠実そうな顔つき、皺は母より先に齢を重ねて、知的な緑縁の眼鏡を掛けている。
知性という点ではどうやら眼鏡ごと姉の方に受け継がれたらしい。魔女は小さく笑い、会釈した。

「父上も元気そうで何よりで」
「はは、私はもうすっかりおじさんになってしまったよ。
カーラもリディアも、もうすっかり大人なのだから歳も取るというものかな」

コンチェルトは魔に造詣が深い一族が選ばれ婚姻を結ぶ。父はそれとは対照的な、本当に一般の市民だ。
今でも術は殆ど使えず、この魔女界の武家ともいえるコンチェルトは初め大いに反発したらしい。それを強引に押し込み、罷り通って結婚してしまったのは当時の母だった。ベルンハルトも「若いころはたいへんに――それこそお嬢様も真っ青のやんちゃでしたよ」と語るだけはある。すっかり父は一般の平凡な世界から魔界に足を一歩埋めたが、マイペースな学者体質は抜けず未だに普通の人間のまま今日まで生きているのだから大したものだ。
落着き払って彼は口を開いた。

「お前が帰ってくるからには、何か理由があるのだね」
「はい父上。私は――自らの起源と、これから何をすべきかを確かめに来ました」
「起源?」
「どうやら私の血は……通常のクォーター、ダムピールとは些か異なるようです。
お二人と、ベルン爺なら何か知っているのではないかと」
「ふむ、ではすべきこと、とは」

魔女は、黙っていても仕方ないと行きの移動の最中に結論付けていた。
こういうことは、せめて家族にくらい明かすべきだろう。黙っていてもしゃべってしまっても、結果が変わるわけではないのだから。
やや間をおいて、静かに思いを口にする。
堅苦しい言葉遣いなど、とうに抜け落ちていた。席を立って、聞こえるように声を響かせる。

「お二人に……いや、私の父さんと母さんに伝えなくてはならないことがあるわ。
私は多分、これまでの戦乱とは比較にならない火中に身を投じることになるでしょう。生きて帰れる保証もないし、下手をすれば世界を敵に回すことだって、あるかもしれない。
でも、これだけは覚えていてほしい。私は、カーライアは一点の曇りもなく、あなたたちの娘として。コンチェルトの魔女として戦い抜きます。それが――彼女との約束なんです。
どんな結果になってしまうかは分からない。でも、今のうちに伝えたいことを伝えてしまいます。
私は、父さんも母さんも、ベルンハルト爺も姉上も、みんな大好きです。今まで忙しかったし、私は素直になれないことは自分でよくわかってるからこんなこと口にはできなかったけど……それでも、私たちは家族ですから」
「カーラ……」
「私は、間違っていますか?」
「いいや」 父は首を振った。 「お前が決めたことだ、世界を背負うというなら、後顧の憂いなど考えずに存分に戦ってくるといい」
「そうね」母も目を閉じたまま、こっくりと頷く。 「やんちゃで天邪鬼のカーラがこんなことを言うんですもの、もう私たちが心配しなくとも、すっかり大人になっていたのね」
「……いつまでも子ども扱いしないでください!」
「あなたこそ照れ隠しにそうやって反駁するのだけは、いつまでも変わらないわね」 母は楽しそうに笑った。
赤面して紅潮するのを抑えながら、魔女はこんなことを打ち明けても変わらず受け止める両親に心の隅で感謝をする。
帰ってきて、こうして目の前にして話すだけで、心が大分軽くなった気がした。

「お嬢様」 慇懃な老執事は目頭を熱くしながら向き直った。 「この私めを、まさか家族などとは……」
「あら、何今更感涙に咽ぶなんて。家族でしょ家族、他になんて形容したらいいのかあげてごらんなさいな」
「……お嬢様も意地悪くなられましたな」
「それは昔からよ」
「おやおや、これは手厳しい」
「フフ……さぁて、これで踏ん切りついた。
では、父さん、母さん。あなた方の娘カーライアは存分に世界を相手取って、喧嘩をしてきます!
少なくともお二人より先に墓に入るつもりは毛頭ございませんので、そのつもりで!」
「あら!」
「行くよベルンハルト」
「はっ、仰せのままに地獄までお供いたしましょう」

コンチェルト家の煌びやかな外套を翻して、重い扉を怪力で開き倒して絨毯を引き返す。
親の顔を見たら負けることなど考えられなくなった。もしものことなど知ったことか。
絶対に生きて帰ってくる。そう肚に決めてしまったのだ。

「しかし、ベルンハルト」
「なんでしょうか」
「勇んで出てきてしまったけど、よく考えたら暫く実家でゴロゴロするって決めていたんだわ」
「あれま」

執事らしからぬフランクな反応に、ぐぅと魔女のお腹が合わせて鳴った。
猛獣顔負けの胃袋は一食抜いたら卒倒しかねないほどに呻吟を上げる。せめて途中駅で昼食くらいはしておくのだったと後悔する。

「……それと、私実はお腹減らしてきたのよね」
「はて、どんな顔して食卓に戻りましょうか」
「…………さぁ?」











三日三晩ほど魔女は久方の休息を味わい、団欒を楽しんだ。
積もる話、これからの事や、知人たちとの交流の数々、或いは何度か命を落としかけたなどと、そのどれもがすっかり隠居暮らししている両親には新鮮なものだったらしい。平常の魔女ならば戦闘に駆り出されることはごくまれなのだから、当然と言えば当然に自らの日常は異日常であることを思い知らされる。
四日目の昼だった。いつも通りに様子を見に来た執事が二度ノックをし、返事を返して部屋に入れる。髪を束ねて魔女は傍に立て掛けた荷物を担ぎ執事に言い放った。

「白状なさい、ベルンハルト」
「は?」
「確かに父さんと母さんの顔が見たかったから帰ってきたけど、もう一つ目的があることを忘れてない?
仕掛け人はあんただってことはもうお見通しなのよ」
「……はて、どの件であったか……」
最近とんと物覚えが悪くなりまして、などとすっ呆ける執事に魔女は鋭く眼光を送った。
伊達に物心ついた時から身の回りに居る執事ではない。機微など魔女には手に取るように分かった。
「リーゼロッテが全部バラしたわ」
「ああ、あの死神娘殿が」
「80年前は随分大暴れしたそうじゃない。あんたも彼女も知らん顔で私の目の前を右往左往してるけど、まさか面識があってしかも敵同士だったとはね……」
「そんなこともありましたが、この爺の私事でございますよ。すっかり忘れておりました。
しかしやれやれ、お嬢様には敵いませぬなぁ。何処まで聞いたかは存じ上げませぬが、確かにもう話すべき頃合いなのかもしれません」

従順な老執事は廊下に消えた。ついて来いということらしい。
彼の悠然とした足取りに従い、コンチェルトの複雑極まりない屋敷を長い間歩き回る。今でこそ屋敷の中を行き交う使用人や眷族は少ないが、一度仕事が入れば石畳の中庭や広間は職人たちで活気づく。魔女一族でも日常的な需要には少ない武具を取り扱うからには、平常から精力的に活動していては組織全体の体力が持たない。それに「表の仕事」を持っている構成員が殆どだ。
ベルンハルトは段々薄暗い地下へと足を踏み入れていった。蜘蛛が巣食う青ざめた煉瓦の壁にかかる蝋燭台に掌から灯を燈し、古めかしい鍵戸を開けて深淵へと進んでいく。
明かりをつけるとそこには、巨大な断頭台が立ち塞がっていた。
何時のものだろうか。錆びついた鋼鉄に、刃の部分だけがぽっかりと持ち去られている。
コンチェルトとどんなつながりがあってここにあるのかは分からないが、本能的に魔女は禍々しい印象を受けた。刃の無い処刑台は今まで幾人の血を喰らってきたのだろう。そしてギロチンとは、同胞たちの首を刎ねてきた禍々しい器具だ。
圧倒なのか、畏怖なのか。それを眺めながら魔女は呟いた。

「これは……」
「お嬢様、私に真に問いただしたかったことがなんなのかを言い当てましょう。
“なぜ私はダムピールなのに生き血を啜る機能が無いんだ”、ではありませんか?」
「……これと、何か関係があるのね?」
「その通りにございます。
隠す必要がなくなった今……もうひとつ、結論を申しましょう。お嬢様は出来損ないの吸血鬼などではなく、クォーターにも関わらず桁外れた魔力を持ってお生まれになりました。純正に限りなく近く、陽光に滅ばない弱点の無い吸血鬼……奇跡とも思われる、それ故に何人に疎まれても致し方の無い、曇りなき力を以て」

ベルンハルトが今まで口を噤んでいた理由がわかった。ただのダムピールなら、どんなにマシだったろう。
弱点の無い吸血鬼、魔族にとってそれはあまりに、理不尽だ。
圧倒的な戦力を持っている吸血鬼を唯一縛るのは陽光で、それが他種族とのパワーバランスを辛うじて保っている。
いかに強力な個体であっても平等に陽光に滅ぶ、それは伝統であり、必然であり、摂理でもある。
その摂理を打ち壊してこの世に生れ落ちたのが、自分らしい。
今までは血が弱いから陽光の影響を然程受けないのかと思っていたが、
これはリーゼロッテの危惧にも繋がる。
弱点の無い吸血鬼、それは彼ら龍にとっても脅威となりかねない。
底なしの再生能力を保持する吸血鬼は、龍に敵対する虞すらある。
いかに自分を知らないかを思い知らされるとともに、これまでどうして生きながらえてきたかがよくわかった。
どうやら自分は、ロゼッタ並みに最終兵器としての加工が施されていたらしい。
 そして、目の前の老執事は何食わぬ顔でそれを仕立てあげてきた仕掛け人というわけだ。すっかりしてやられた。

「それで、吸血能力を剥奪して魔力と共に私を隠蔽してきていたのね」
「……恐れながら、そのまま世に出すにはあらぬ誤解を招きかねませんでしたから」
「フフ、私もしてやられたわけだ。
最終禁呪を使うその瞬間まで、一介のクォーターだと信じ切っていたのにね。
ところが蓋を開いてみたらどう、弱点なしの完全無欠吸血鬼と来たもんだ。人間辞めてたなんて、気付く由もなかったわ。
それどころか、最初から人間じゃなかったと」
「お嬢様、余りご自傷なされては……」

そこまで言って、施術した張本人であるベルンハルトは言葉を噤んだ。
気付かなければどれだけに幸せだったか、或いは普通の吸血鬼として生を受けた方が、いかに幸福であったか。
散々に自分を人間と思い込んで、他人を化け物呼ばわりしておいて、結局はこのざまだ。
リーゼロッテからしてみれば純血だろうが混血だろうが関係はない。敵になり得るのであれば滅ぼす理由は充分。
乾いた笑いさえも出てくる。
最終禁呪を解き放つその瞬間まで疑いもしなかったが、今確信が持てた。
この身体を流れる血は、最早言い訳もつかないくらいに化け物のそれだ。

「……ベルンハルト。
私に地獄の底まで付き合うとあんたは答えたわよね。その忠誠、いまだ生きているのかしら?」
「死すはずがございませぬ」
「ではもう一つ答えなさい。
私の吸血という本能を取り去り、代替させたのはこの刃……魔を破り、化け物を屠るためのギロチン、これに相違ないわね」
「仰るとおりにございます。
……それは数えきれない程の同胞の血を啜ってきた、人間界の負の遺物であります故。
貴女様の、溢れ出る魔力を隠蔽し封じ切るには最も相応しい、血塗られた武具にございました」

辻褄が合った。瞳孔が拡散し、心は早鐘を打つようだった。
禁呪を解いた際に、血が刃を成した理由。それまで吸われていた全ての血が、破魔という目的をもって禁呪と共に解放されれば、
魔女の積りに積もった怨念ともいうべき――呪術が解放され、見境なく周囲の魔を孕むものに襲い掛かる。
それをベルンハルトは「自らの血液を代償に敵意を全て術者が目標にした個体へと向ける」というベクトル修正を施したのだろう。
自らが完全に吸血鬼化すると同時に、武具が血を吸う度に代償へと循環させる。よくできた方程式だ。
相反する装備と術者に負荷がかかるという点以外では並みの努力で突き崩せるはずもない。魔女を殺してきた刃を魔女が使い、本来屠られるべきけだものがけだものを屠る刃を握る。本当に、本当によくできた皮肉。
ベルンハルトは、よかれと思ってそれをしたのだろう。
私に恨まれることも、哀しまれることも、或いは殺されることも承知で。
「いつぞやの記憶」のように、力なき幸福よりも力を持つ不幸を選んだのだろう。
私は化け物として生まれたのなら、力を持たなかった方が不幸だっただろう。
彼は、正しい決断をしたのだ。

「ベルンハルト」
「はっ。
とうの昔に、覚悟はできております。私はお嬢様を利用いたしました。兵器として仕立てあげました。
殺されても、仕方のないことをしてきました。お嬢様が一番なりたくないと思っている姿へと、変えたのは私にございます。
気のすむまで、首を刎ねて刃を突き立ててくださいませ」

もう一人の仕掛け人、魔女の祖父カレル・ヴァンピーリアはもう何年も棺桶の中から出てきていない。
力が弱まったのか、眷族には珍しい滅びの時を迎えたのか知らないがもう訊くことも難しいだろう。
今実質的に魔女に術式を仕立てあげたのはこの執事本人を残すのみだ。
魔女は棺桶のようなケースを開けた。鈍色に光る巨刃は新たな獲物を探して涎を垂らしているようですらあった。
青い煉瓦に囲まれた密室で、ベルンハルトはゆっくりと屈した。
もう、いつ自分がこの世から消えてもいいと最初から覚悟しているというのは虚言ではないらしい。あまりに静かな空気が流れ、魔女は大きくそれを振り上げた。

「……ベルンハルト。あんたはよくやったよ。十分にコンチェルトに尽くしたし、私にも尽くしてくれた。
ふふ、もう化け物として生まれたのだから仕方のないことだったのかもね。私は生まれながらの化け物なのに、人の皮をかぶって、すっかり人間だと思い込んでいて。哀れなのは私自身、あんたはそんな哀れな獣に服を着せて役を与えて、存分に人として立ち回れるように舞台を整えただけ。笑っちゃう」
「……このベルンハルト、もう取り返しようのない裏切りに手を染めたことは自覚しております。
ただ、ご自身を傷つけるのだけは……たとえお嬢様といえど、ご自身を侮辱するのは何卒おやめください」
「それこそ今更だわ。
何もかも馬鹿げてきやがった。このコンチェルトで飼いならされてきたのは……繋がれた手綱を曳かれていたのは私だったか。
はっ……なんならいっそ首輪でも嵌めて芸でも仕込んでみる? お座りでもお手でも、何でもやってあげるかもよ。わん、わんってね……」
「お嬢様……、おやめください」
「…………ひとつけじめをつけてやる。歯を食いしばりなさい」
「……御意」

静かに従順な執事は呻いた。
そうして魔女は、振り上げたギロチンを一息に加速させ叩き下ろす。
一刀、ただそれだけが空を裂く。
骨を砕く劈きと共に、彼女を支え続けてきた一人の老いた男の鮮血が迸る。
ねちっこい、水っぽい音。紅い飛沫が暗闇に幕を作り、煉瓦に走った。
何か重いものが床に転がって、足許を濡らしていた。

……ベルンハルトは我が目を疑った。
振り下ろされた刃は、何処を穿ったのだろうか。
激痛が右腕に走る。自らを寸断した主は巨大な処刑刀を提げたまま数歩歩いて、それを手に取った。

次の瞬間に彼女は、思いもよらぬ行動に出た。
最早自分のものではない右手。それに牙を突き立て、瞳を閉じて生き血を啜った。
紅い瞳が瞼の裏に隠れて、彼女は丁寧に零れ落ちた血を舐め擦り、そして喉を潤していく。
舌が長く伸びて血を掬っては、官能的な囀りと共に奥へと流されていく。
それは二十六年、生まれたころより仕え続けて初めて見る――穏やかで美しい表情だった。

「……お嬢様、何を――」
「ベルンハルト、あんたは地獄の底まで付き従うって約束を反故にするつもり?
あんたは私の下僕、部下、そして何よりも家族……そんなあんたを些細なことで叩き斬ったら、五百年間あんたがともにしてきたコンチェルトの名が泣く」
「些細なこととは!」
「バカバカしくてもう笑う気も失せたわ。
私が化け物だから? 人じゃないから? それくらいで私がどうにかなるとでも思った? だったらあんたはとんだ耄碌執事ね。
私は何だろうとここにいるわ、誰にも文句を言わせはしない。
極めつけの吸血鬼で殺戮兵器とか、上等じゃない。それくらいじゃあないと世界に喧嘩売れないでしょ?
おまけに脳筋魔女ときたわ。もう最高。ここまでイカレ女が出来上がってるならもう後悔もしようもない」
「……お嬢様。
もしやこの爺が思っていたより遥かに――気丈でいらっしゃいますか?」

ベルンハルトは確かめるように訊くと、魔女はフンと鼻を鳴らす。
失礼しちゃうわ――とでも言わんばかりの不機嫌面だ。だがその一方で王女のような覇気を纏って毅然と立っている様に、ベルンハルトは己の杞憂を幸福に思うことができた。

「あんたは下僕、私は主人。
それ以上に何が揺らぐ必要があるの? あんたが如何なる裏切りをしたところで、私の最善を選んでそれを行動に移しただけ。
あんたが思ってるより私は脆くないし、あんたが信じているより私の信頼は薄くもない。あんた自身が仕立てあげたコンチェルトの女を舐めるなよ、ジジイ。
500年も仕えて、そんなことを忘れてしまっては灯台下暗しもいいところね」
「……そのお言葉、痛み入ります」
「ほら、立ちなさいベルンハルト。
腕がもげようが、血が噴き出ようが首が削ぎ落とされようが立って私に仕えなさい。それでこそセバスチャン・ベルンハルト、コンチェルトが誇る最強の執事ではなくて?」
「お嬢様に説教されるとは、堕ちたものですな」
「悔しかったら主だろうが捻じ伏せてみなさいな。ふふっ」

不敵に笑い、彼の主はぽんと右腕を投げてきた。
執事はそれを途切れた腕に据えて、魔力を収束させて一気に縫い込む。しっかり根付くにはまた時間がかかりそうだが、それが彼女の課した罰だと理解すれば、何処も不思議ではなかった。やはり自分が仕えるべきは誰か、このお方はよくわかっていらっしゃる。

「それにしても、お嬢様」
「なに?」
「どうして私めの血を?」

吸血鬼が他人の血を吸うというのは、即ち下僕化の証でもある。
初めに吸った警部の血は――言うまでもないが、妻子持ちだ。下僕化は完全には作用しない。
そしてベルンハルトは、途切れた腕の血を吸われた。吸血鬼の支配はいわばウイルスのようなものだから、これでは本体にまで呪術は伝播しないだろう。
繋ぎ合わせて遅効性だったらどうしようかとも考えたが、よく考えたら既に真正の下僕である。
何も変わらないではないか。

「ふふっ」魔女は相も変わらずに不敵な笑みで迎えた。主が何を考えているかもさっぱり分からない。どうやら自分も相当にヤキが回ったようだ――ベルンハルトは己を恥じた。魔女は楽しそうに手を後ろに回して犬歯をちらつかせて言う。
「これで警部さんとベルン爺の血を頂いたわけだし? 私は魔力が上がって、ついでに二人の遺伝子情報を記憶したことになるわ」
「ほう? 具体的には何が出来るのです?」
「秘密」
「……お嬢様、それはよろしくありませぬぞ! このジジイの血などを持っても百害あって一利も!
それ以前に、お嬢様はいい加減腰を落ち着かせましょう。リディア様などもう縁組みは決まっているというのに」

これがいけなかった。導火線に火をつけてそのうえガソリンを撒いたも同義の発言が口から零れ落ちたのをベルンハルトは急いで訂正しようとしたが遅かった。おまけに姉上ときたもんだ。これには魔女も堰が切れた。
恐ろしい剣幕で振り返り指を突きつけて啖呵を切る。今にも咬み付かれそうだが、関係はいつものそれに戻ったようだ。

「あんたも縁談縁談って小姑じみてきたわね!
結婚なんて考えてもいないし、そもそも身軽な今が私は快適なのよ」
「……ただ単に相手がいない、ということはありませんな?」
「ちょっとおまえ、歯を食いしばれ」
「オレグ殿やガラサキ殿などは……」
「あいつは死んだ! しかもチルミナとよろしくやってるから放っておけ!
蟲野郎は最近めっきり大人しくなったけど、やっぱりロクなこと考えてなさそう!」


生憎どっちも事実だ。
執事はいつもの小言を垂れ、それに対して魔女はいつものように反駁する。こんな何一つ変わらない構図が今は随分と懐かしいものに思える。ロゼッタには感謝せねばなるまい。
この身体に流れる血が何物であろうと、誰にどんな呼ばれ方をしようと、世界が自分をどう定義しようとも。
結局自分であり続けるには自分であるしかありえないのだから。
もう、己の前に立ち塞がるものを砕くだけと決めた。疑うのも疑われるのもこりごりだ。
迷えるときに迷えばいい。此処に生まれたのなら変えようがない。それでも進まねば始まらない。
……力は、そのために注げばいい。

「ときにベルン爺、そんな世間話をしにここに案内する奴ではないのは分かっているわ」
「おや、相変わりなく鋭い」
「コンチェルトの中でも何層にも厳重に鍵を掛けて安置しておくほどの部屋なら、何かあると踏むのが自然でしょ」

この屋敷には腐るほど武器がある。
廊下に装飾として立て掛けられている斧槍一本一本でさえ、実際に外して取りまわせば十分に悪魔連中とやり合えるような魔具だ。
言ってしまえば、屋敷全土が人でないものとの戦線を張るに充分な装備と人材を揃えている。この眷族はそれに足るだけの力をため込んできた。武器を取り扱う個体それそのものの生存性を高め、人類と彼らとの勢力を極めて均衡のものにしてきた。
そのコンチェルトが、わざわざ地下室に隠す様な代物だ。並大抵の装備ではないだろう。
魔女の読み通りに、ベルンハルトは更なる深部へと足を進めていった。鍵の類はもうない。壁の一部に文様が刻まれており、彼がそこに手を翳すと壁は軋みを上げて組み換わり、道を譲った。パラパラと埃だけが落ちる中に足を進めていく。
部屋を覆い尽くすほどの武器群の中から彼は長細いガンケースを取り出し、鍵を開けると丁寧に開いた。

「お嬢様に火器の類は必要なさそうではありますが」
「銃火器は趣味じゃないしね。素手よりはマシだけど」
「ですから、これはロゼッタ様に」
「……狙撃銃か」

分割されたパーツを執事は慎重に組み立てると、それは姿を現した。
純銀で出来た、塔のような砲身。簡素だがそれ故に頑強で、細部まで磨き上げられた様は一度も実戦を味わっていないことを窺わせた。手に取れば、その込められた呪詛の強度はよくわかる。あちこちに意匠として埋め込まれた魔方陣は射出時の破壊力を極限まで高めるべく、それだけのために特化された銃だ。スコープも無ければセーフティも無い。武器としてみればかなり古典的な類。
だが、逆に言えば威力さえ高ければ済むのが魔女の武器だ。遠距離での撃ちあいで目標を貫通するだけの威力があればロゼッタは満足し、該当する銃器が一挺で足りなければ二挺用意してそれぞれを腕一本で制動する。たいていの魔女が銃器を敬遠するのは、膂力に困ることが無く、懐に飛び込んで叩き斬る方が手っ取り早いからというわけだ。

「7.62mmオベリスク炸裂弾頭を13発。彼女のスヴィーティは10発装填でしたので、単純に手数は増えます。
またスヴィーティは碑弾としての威力を優先しておりましたが、このフェンリルは弾丸の特性として物理的な衝撃力を高めており、魔物や敵性魔導士以外にも人間界兵器などを有効に撃破することが可能になるでしょう」
「つまり……フランケンシュタインの似非バベルに殴りこむにはとっておきってことね」
「放たれる度に悪性の侵蝕結界が収束し目標を完全に貫き通すまで食い破ります。さしものお嬢様とはいえ、喰らえばただでは済まないでしょう。龍娘に効くかどうかまでは、試してみなければ分かりませんが」
「ふふん、主どころかリーゼロッテまで目標想定範囲内とはね。こうでなくてはコンチェルトでないといえばその通りか」
「ロゼッタ様から『カーラをぶちのめせるくらいのヤツ頼むよ!』と仰せつかりましたので」
「ぶちのめすどころか殺し切れるオモチャ用意してどうすんのよ」
「ご冗談を、お嬢様はこの程度では死に切れませぬ故」

喰えない執事は自信満々、慇懃に笑った。
そうしてもう一つ、ガンケースを持ってくる。開けば今度は回転式拳銃の類が出てきた。
六発装填する弾倉がせり出してくる、シンプルな構造の拳銃――リヴォルバーというやつだ。黒い艶を帯びて、やはりこちらにも文様が施されている。強力な破魔の術式は、尋常の人間が魔族に対抗する手段として魔界では古来より重宝されている。
拳銃にしては大型だ。手に持ってみればずしりと重みが来る。確かに普通の女子供が撃てるようなものではないだろう。
「これを警部様に」
「44口径ね」
「あのお方の愛銃は確か9mmでしたが、ザミエルが契約した今彼の身体能力は数段跳ね上がっていると思われます。
慣れた型ですので、十分に使いきれるかと」
「でも警部さんまで巻き込むとはまだ決まっていないわ。
……本人は、やる気満々みたいだけど」
「いえ、これは私からの好意、いやお節介と受け取っていただければ」
「どういうこと?」
「お嬢様と戦いに赴かずとも、持ってほしいのです。
ザミエルの力は並みの人間には制動できませぬ……やつは魔弾の権化です。通常の拳銃では数発撃つうちに銃の方がやつの狂気に耐え切れませぬ故。そしてそれは警部様にも言えること」

ザミエル。彼と契約した上級悪魔の名。
警部はついこの間までごく普通の人間であったのに、あの戦いの最中とうとう魔界に半身を捧げたも同然の行為に身を染めてしまった。
それも、ザミエルだ。路傍の悪魔なら如何程にマシだっただろうか。あの死神店長との旧知の仲で、銃器に憑りついたら仕留められぬ標的は無いとまで言われる、魔弾の射手。直接の面識は無かったが絶対にロクな奴ではないという確信が魔女にはあった。
ベルンハルトは恐らくどんな悪魔かをよく知っていて、それを背負うことがいかに剣呑な生を歩むことになるかを知っている。
そうでなければこんなことは言い出さないだろう。自分の事を除けば彼の予見はこれまで外れた試が無い。魔女は静かにうなずくと空間を呼び出して、その中に格納した。

「これで終わりかな」
「いえ、最後にもう一つ。と言っても、既に終わりましたが」
「……もう何も残ってないと思うけれど。まだ何かが?」
「お嬢様もご存じの通り、ヴィオール・ヴィエラは強固な封陣を施して魔女の呪いを固定化させる、極めて特殊な呪詛の下に成り立つ武具です。そしてそれは今やお嬢様と切っても離せない……ある種の呪い、といった方が正確でしょうか。
そのギロチンを封じる、最後の箍を外す手段、それは……私からは非常に言いにくいのですが」
「勿体ぶっちゃって、らしくないわね」
「“使い手が大切だと思う誰かの命を吸うこと”なのです」
「……あれ、何も不思議ないじゃない」
「……いや、ですから。その。私めなどを、そのような。光栄ではありますが、さすがに身の程に余ります。
しかし、折角なのでお嬢様がばっさり気持ちよく殺って頂けるように立ち回ったつもりなのですが……案の定封印の箍は外れた様子で」
「ってことは、爺。あんたはどの道私に封印を解かせて、自分はぽっくり逝くつもりだったと?」
「その通りにございます。生憎、少しばかり生き長らえたようですが」

魔女は呆れた。このじじい、かなりのやり手だとは知っていたがとんでもない食わせ物だ。
自分に最後まで戦う力を預け、散々に騙くらかしてきたことを告げ、揚句は自分の命を絶ち切らせて責任を取る。
彼の理には適っている。だが魔女からすれば、人形の糸を繰られ、掌で踊ったような嫌悪感しか残らない。
死のうが生きようが、自分が主を裏切ろうが、どの道彼は主の最善を尽くすという目的は達成できるように設定していた。
魔女から冷たい視線が刺さるなか、彼は申し訳なさそうな素振りも見せず、続けた。

「やや、賭けではありましたな」
「私が仮に殺すつもりで、爺を大切だと思っていなければあんたは犬死だった」
「食堂での御発言で、確信はありましたので。賭けに出た次第でありますよ。
まさか、ここまでやって生きて日の目を見られるとは思いもしませんでしたが」

何事もなかったかのようにそう言ってくれる。苦虫を潰したような顔をして、魔女は指を突きつけた。

「ベルンハルト!」
「はっ、なんなりと申し付けくださいませ」
「私を利用した罪……高くつくわよ。覚えていなさい」
「御意……しかし、これで準備はできましたな」

その言葉と同時に、視界が揺れた。
屋敷がただならぬ振動に包まれ、何とか傍にある細工に手を伸ばして倒れ込まないように努める。武具はがたがたと棚から外れ、ガラスの割れる音までする。
その最中でベルンハルトはやはり何もかも見通すように――「思いのほか早かったですな……やつらが来たようです」と小さく呻く。
やつら? フランケンシュタインの残党だろうか。なぜコンチェルトに? 尾けられた?
疑問を打ち消すようにベルンハルトは空間に穴を作り、そこに魔女を引き込んだ。上も下も分からぬ亜空間での転移が終了し、次の時空の穴から出てくると視界には見知った門と――それを囲む数多の軍勢が映る。
見るなりベルンハルトが顔をしかめた。「ふん、余程お嬢様に生きてもらっては困るようだ。そちらから最高の戦力を投入してくるとはな」
「警告します。カーライア・セシリア・コンチェルトの身柄を引き渡しなさい。さもなくば交戦もやむなしとします」

返ってきたのは女の――無機質な声音だった。
緊張もなく、脅しや威圧もなく。だが何も纏っていないゆえに、血の通った人のものとは思えないような声。
チルミナのようなものではなく、もっと感情の籠っていない雰囲気がした。
声の主と思しきものは、機甲を纏った軍勢を二つに分けて前に進む。コンチェルトの広い庭園に収まりきっているのが不思議なくらいの多勢に無勢。そして心なき軍団の奥底から出てきたそれは、人形の形をしていた。

浮遊する天蓋が二本十字を描き、棒の先には糸が結わわれ、吊り下げられるようにしてそれは手と足を保持している。足は地面から少し浮いていて、まるで道化のような衣装と、鈴のついた帽子。それらは喪服のような黒で覆われている。
顔立ちは美しいが、それは無機の美観であった。白すぎる肌は陶磁器を思わせ、くりくりとした瞳は宝玉にしか見えなかった。
人の形を取っていても、それだけ。人形としか言えない、等身大のそれはいかなる術式によって動作しているのだろうか。
誰かに操られるような不自然な所作でこちらとの距離を詰め、やがて門の前に静止した。
そして何より――目と口許に走る二本線――かたかたとマリオネットが演者の指使いに従って口を利くように、それは声を紡いだ。

「目標、捕捉。索敵を終了、接触を開始。 重要人物と思われる個体との遭遇、生体情報との照合――合致。会話プロトコル、作動。
警告します。ターゲットをこちらに引き渡しなさい。さもなくば――攻撃も辞しません」
「ふん、同じ戯言しか吐けぬ哀れな木偶め。お嬢様を寄越せと言われて、なぜ易々に渡す従者が居ると思うか」
「それは拒否ととって、よいのですね」
「そうだ、失せろ。最初から皆殺しにする腹積もりなのだろう? 交渉など白々しい」
「……分かりません」
「なんだと?」
「我が主は、世界を、人類を脅かす存在から保護するためにこの計画を立ち上げ実行に移したのです。
あなた方人は……すべからく計画によって保護されなければならない。私はゆえに、戦闘は望むところではありません。あなた方を平等に保護する義務があるから。
なのになぜ、あなた方は抗おうとするのです。なぜ、人をいつでも脅かせる者の肩を持つのです。理解できない。あなた方は、滅びへの幇助をしています。それは危険な思想です。ゆえに――駆逐されなければなりません」
「機械のくせによく口が回るな。その義務や計画とやらも植えつけられたものだろう?」
「その質問に対する回答は用意されておりません」
「だから木偶だというのだよ。貴様には人がいかに魔を恐れ、なおそれと向き合ってきたかが分からぬ」
「私に対する侮辱は攻撃行動の初歩段階とみなします。今なら間に合います――」
「もう言わんぞ、失せろ木偶!」
ベルンハルトが這い上がるような声で烈しく叫んだ。マリオネットはかたかたと身体を震わせ、情報の処理をしているようだった。
どうやら戦火を交えるのは不可避らしい。しかしコンチェルトの屋敷に今人は殆どいないとはいえ、両親がまだ中にいる。
……この物量では、突破を防ぎきることは絶望的だった。
そこまで魔女が考えをめぐらせたところで、ベルンハルトがささやいた。
「お嬢様、お逃げください」
「……そんなことはできないわ」
「では、こういいます。彼奴らの本拠地に乗り込み、バベルとやつの野望をを完膚なきまでに破壊してやってください。
そしてブランシュ様を救い出してくださいませ。あなたにしかできませぬ」
「ここから退けと!? 中にはまだ――」
「お二人には、指一本触れさせませぬ。このベルンハルト、命に換えましてもここを死守いたします」

顔を見上げ、魔女は気付く。いつもは飄々としている執事の目に、いつになく烈しい炎が灯っていた。
生まれて、物心ついたときよりずっと見てきた執事の顔。それが今、見たことも無い鬼の形相が皺を深く刻み込んで、陰を帯びている。
魔力による通信が彼の耳に届いたようだった。彼はマリオネットに向き直り、戦闘用に呪詛の敷かれた手袋をはめ直す。無駄の無い動作。ぎりぎりと皮の締め付ける音がした。
五百年間、コンチェルトを守護し続けてきた最高の戦力が、再び魔力の箍を外さんとしていた。

「たった今、オレグ殿とチルミナ殿、それにロゼッタ様がこちらに急行しているとのことです。ガラサキ殿がやつらの動きを探知したのでしょう。彼らと共に、やつらの本丸に向かってください。お嬢様なら必ずや……このベルンハルトの主ならば必ず生きて目的を遂行できましょう」
「ベルンハルト……」
「お嬢様、事は一刻を争います。
私なら、心配に及びません。この程度の死線、数える気も失せましたわ。
ですから、お嬢様はお嬢様にしかできない戦いに臨むのです。私が命を燃やすのは、コンチェルトとお嬢様のためにとこの耄碌爺は決めております故」
「命を賭すことは構わないが死ぬことは私が許さないわ! いいわね!」
「仰せのままに!」
「……あんたにはまだまだたくさん説教が残ってるんだから!」
「ふっ、言った筈ですぞ。
この耄碌爺、地獄の底まで付き合いましょうと」

小さく微笑んで、再び黒い人形に向き直る。
そうして彼は、すらりと伸びた背をそのままに指先を僅かに動かした。空気が軋み、空中に文様が羅列されていく。震動は徐々に大きくなって、虚空から突き破るようにそれは魔女の前に姿を現した――ゴーレム。土塊の巨人。神の人形。
瓦礫で出来た巨人は一切の遠慮なしに空中法陣から現れた右腕を振り払い、薙ぎ倒す。風が押しつぶされ、いくつかの機甲兵が紙切れのように吹き飛ばされバラバラになっていく。その間断を縫うように、恐れも知らずに一息に突っ込んでくるのは――黒人形だ。
人形は何処からか刃をせり出し、それを雨霰のように身体中から弾き飛ばした。瞬間、空中でそれは静止し、点と点を線で結び始める。
複雑な文様のうちに描かれたもの――魔女は感づいた。
「……炸裂するわ!」
「防ぎ切ります」
文様は光を纏い、弾け飛んで刃を無数に分裂させる。そのそれぞれが着弾と同時に火を放ち、辺り一面は瞬間的に業火に見舞われた。
その炎を喰らいながらも、なおゴーレムは二人の前に立ち塞がっている。守るように伸ばした手を退けて、蹲っていた足を一息に伸ばして反撃。迸る石畳の向こうで人形は即座に飛び退いた。浮遊する十字天蓋が正確にそれの動作を糸で繰ってゆく。軸があるかのように空中を滑る様に執事が舌を巻く。
「速い。流石に出来が違うか」
「あれが何か、知っているようねベルンハルト」
「ええ。見た目こそ道化人形ですが……独特の稼働律を見るに限りあれもゴーレムの一種でしょう。
こちらと決定的に違うのは、向こうは鋼鉄と機械で制御されているといった点でしょうか。製作者は恐らく」
「フランケンシュタインね」
「ですな。ゴーレムは神の人形です。何に宿ったにせよ、いかなる状況を前にしようと能力限界を常に発揮し続けることが可能な兵器でございます。何処で製造されたかは不明ですが、人間界の現代技術で再構築されているとなると防戦一方ではやや不利でありますな」

険しい顔で執事が言う。その向こうで人形は床一面に撒いた炎の上で、首を傾げて空中に固定されていた。
端麗な顔立ちは、無表情だ。機械独特の、言い知れぬ闇を纏うその姿は、さながら神の使いの羽根のように繰り糸を拡げてそこに佇んでいる。

「……無理です。あなた方では、私には勝てない。
私は悪魔を駆逐するための、兵器。あなた方がどんな術に訴えようが、それをねじ伏せる手段を知っている。
諦めてください。足掻くという行為は、推奨に値しません」
「舐めた口を利くな人形風情が。
こちとら五百年も馬鹿げた連中相手に戦争をしてきたのだよ。今更貴様に教授される兵法などない」
「……説得は無駄ですか。仕方ありません」
「生憎木偶ごときに説教される耳など持ち合わせておらん。今すぐ私の主の前から消えて失せろ」

手を伸ばし、神の先兵に指令を下す。塔のごとき剛腕が叩きつけられ、瓦礫が爆ぜて吹き荒れる。
飛び交う岩の弾丸の間断を、それは狂いなく完璧に縫って肉薄した。音もなく空を駆け抜け、一息にベルンハルトの懐に侵入する。そうして左手から何か紅い残光を靡かせて、振り払った。残光より生々しい、実体と伴った紅い飛沫が迸る。喰い千切られた右腕が宙を舞う。
「ぬっ……光刃まで備えているとは……!」
「ベルンハルト!」
「逃がしません」

無慈悲に黒い人形は両腕から紅い閃光を再び展開して振り払う。すんでのところで執事は身体を後退させ、切創を極限まで抑えて回避する。同時にゴーレムが立ち塞がるように拳を振り下ろすと、再び門前は砂漠色の土塊に包まれた……否、今度は違った。
ゴーレムの腕先に、閃光が円状に駆けたと思うと、バターにナイフを入れたように呆気なく吹き飛ぶ。ベルンハルトはそれを前に、動けずにいた。人形は残酷に三太刀目を突き入れる。目が追いついた瞬間には懐に入られている。百戦錬磨の執事すらも防御が間に合わない、神速の太刀筋だった。
「終わらせましょう」
絶望の瞬間。
何かが彼らの前を駆けた。割り込むといった方が正確だった。目を見開いて光景を突きつけられていた魔女の、視覚感知もしない六徳の間を縫って、その何者かはベルンハルトと人形の間に闖入したのだった。
ベルンハルトは息を呑んだ。
燃えるような赤毛。最初はロゼッタかと思ったが、腰まで流麗なそれが伸びている。そして彼女より明らかに背は高い。
紅蓮を纏った儀礼用のローブ、そして薄い小麦色の肌。横顔は彼女をそのまま大きくしたようで、老成しているというか落ち着き払った大人の女性らしさが毅然としてそこにあった。自分は、この女性を知っている。ベルンハルトは記憶の奥底で確信を引きずり出してそう思う。
そう、あれは……六年前の。
彼の思考よりも先に、澄んだ表情で紅い光刃を平然と片手で受け止めた女性は口をひらいた。人形は思わぬ戦力の到来によってか、間合いを取って様子を見ている。

「……よかった。間に合いましたね」
「貴女様は――そんな。エピタフィオンが何故ここに」
「家が嫌いなうちの娘が珍しく、私を頼りに来てくれたんですもの。それも、日頃からお世話になっているあなた方一族の危機というではありませんか。
それにしても、随分と厄介な連中を敵に回している様子」
「返す言葉もございません。しかしこのベルンハルト、抜かりました。このお礼は必ずや」
「いえ、お礼を返すのは私たちがすべきこと。今ここで、お役に立てるのであれば」
【そうだな、これは一族のみでは手に余る。
然るべき対処をするのなら、人類総出くらいで調度佳いだろう】

今度は風が横切り、いつの間にか包帯塗れの紳士が姿を現した。いつもの、何処に重心があるのか分からぬ文字通り斜に構えたような前傾姿勢で紳士帽を深く落としているのは、エピタフィオンが命を賭して守るべき王将――ファルアウンその人。
王たる威厳と、逆巻く旋風。不安定な姿勢にも関わらず玉座に腰を下ろしたような気迫に呑み込まれそうになる。

【フン、鈍ったかベルンハルト。あんな人形風情に腕を落とされるとは】
「先程お嬢様に寸断されましたので、些か繋ぎが甘かったようです」
【……旋律を怒らせたのか? 絵に描いたような忠臣のきさまが? 珍しいこともあるものよ】
「あまり深くは、抉り出さないでくださいませ」
【まぁ人に秘密はつきものだな。
それより、さてどう出たものかな】

ファルアウンは眺め渡すように眼前の敵を包帯の隙間から洞察した。先代とはいえ、最強の魔女が一人、それにゴーレム使いが一人、後は腐りきった元大魔導士が一人だ。自嘲するように彼は乾いた溜息を吐いた。
【……落ちぶれた旧世代の老獪が三人でやっと勝負になるかどうかといったところか。パメラ、お前はどうだ?】
主の意見を受け、パメラと呼ばれたロゼッタの母は淡々と答えた。「御戯れを。私はまだ老獪というには早すぎやしませんか」
【それもそうだな。お前も早々に娘に最強の名を明け渡すほど老いてはおらんか】
「エピタフィオン、最強の名は貴方様のためにこそ。永久に錆びつくことはありませんよ、主」
【頼もしいことだ。では行くぞベルンハルト。
旋律、話は聞いたな? お前の妹分が我らを呼んだ以上は、ここは我らに任せよ。ネズミの子一匹通さん】
「王様まで私に逃げろとかいうの?」
【お前、我を莫迦にしておるのか?
この程度の修羅場はリハビリに丁度佳いと言っているのだ。お前はお前の成すべきことがあろう。
我らを呼び寄せた妹分の、気持ちを無駄にするな】
「ファルアウン……」
【フフッ】彼は相も変わらず何を考えているか分からない軽快な含み笑いを漏らす。【久しく滾るな、ベルンハルト?
あの死神娘以来だぞ防衛戦闘など。王将は玉座に座っていれば佳いと民は言う。我はもう飽きた。鈍って仕方がないではないか。
それに、一度やってみたかったのだよ。“ここは我に任せて先に往け!”という殿役廻りを。王ではこういう役が出来んで不便よの】
「ファルアウン様、このジジイの記憶がたしかなればそれは死亡なんとかというやつではありませんでしたか」
【莫迦奴が、もう死んでおる】
「ああ、そうでした」
「大丈夫そうね、お二人様は」 パメラはそうくすりと笑って魔女に振り向いた。遥か遠方では轟音を棚引かせ、超音速の空の使徒が迎えに来ている。チルミナもさすがの展開速度だ。
「カーラちゃん!」
「お母様、いつもいつもご心配をかけて申し訳ありません! ロゼとは、割と仲良くやってますので!」
「いや、先も言ったけれど、お礼を言うのは私の方よ」
「……へっ?」
「あの娘、よそ様の家で粗相をしていないかとか、カーラちゃんやベルンハルトさんに迷惑かけてないかとか心配していたの。
でも、あなたのおかげで娘は随分と明るく、元気に育ってくれました。あなたが娘を救ってくれてから、何もかも変わったような気がします。今ではもう、本当の姉妹みたいに」
「…………」
「本当は、母親である私の仕事であるはずなのにね。あの娘は実の親の私よりもずっと、カーラちゃんにたくさんの事を学んで大きくなったわ。だから、私は貴女に恩を返さなくっちゃいけないわね……ほら、来たわ」

チルミナが爆音を引きずって上空を通り過ぎる。ロール、角度をつけて旋回。背面を向け、侵入に適切な角度で再び飛来してくる。脳裏にはオレグとチルミナから「乗れ」と信号が来た。目の前の、親友の母はすべて分かっていたように、目で促す。

「カーラちゃん」
「はい」
「娘を、そして世界を。お願いします。
私が出来るのは、あなたのために帰ってくる場所を守ることだけ。……これでも、あの娘の母ですから。
ベルンハルトさんも、王様も、みんな同じ気持ちだわ。だから、貴女は貴女にしかできないことを――もう耳タコよね。
お説教はこれくらいにして、こういうときくらいきちんと見送るべきよね。さぁ、若者らしく元気に行ってらっしゃい」
「……お母様、この約束は必ず!」
「ええ! お互いにね」

魔女は跳躍した。低空で飛行してくるチルミナの左翼、フラップを掴み一息に身体を宙返らせ翼に飛び乗る。
頬を打つ強い風が少しさびしく、また心地よかった。翼上では見知った顔が三人待機していた。
「や! カーラ」
「ロゼ、それに警部さんとガラサキまで!」
「ふん……一人で行くつもりだったのか? まったく水臭い、最終決戦くらい呼んでくれてもいいだろうが。薄情だな相変わらず君は」蟲男が澄ましている横で、先日までただの人間だった警部は興味津々、戦々恐々に翼に張り付いていた。「……あのさ、お前ら風とか気にならないのか? 俺は今にも落ちそうで!」
「……この警部、おいてくるべきだったか?」
「警部さん、こう! 足許に集中して、張り付かせるイメージ!」
「おお、おお」
「進路クリアー、このまま加速するぞ。落ちるなよ特に警部!」【速度M2.0、目標方位310°――チルミナータル、加速します。落ちたら自己責任でどうぞ】
「おい、パイロット安全運転しろよ!」
「これ空戦機だぞ警部殿? ロールもすりゃ宙返りもする。フライトタイムは直線超音速で20分だ、快適な空の旅をお楽しみください」

最終決戦だというのに、何故こうもいつもどおりなのか。魔女は呆れた。
しかし、こうでなくては彼らではないのかもしれない。極めて彼ららしい、いや、自分たちらしい、いつもの下らない与太事。
そして、誰かが二人欠けていることにも気づく。魔女は問うた。
何か物静かだと思ったら、神殺しの龍と親切丁寧な堕天使のコンビが居ない。

「あれ、リーゼロッテと店長さんは?」
「準備運動がてら連合全軍に喧嘩吹っ掛けるってさ。あ、一応カーラがレプリカ・バベルを襲撃する際の陽動に、っていう名目で」
「二人で?」
「うん。デート・オン・ザ・皆殺し」
「……何やってんの彼ら」
「あ、でも先に襲撃してきたのは向こうだからね。全くまいっちゃったよ、チルミナは強引にスクランブルするわ、ガラサキは廃屋で籠城戦するわで、みんな連れ出すのに時間かかったんだから」
魔女はきっと蟲男の方を睨んだ。バツが悪そうにそっぽを向く。アタリだ。きっと我が家は半壊以上の覚悟をせねばなるまい。
「……いや、カーラよ。私も吃驚したのだぞ。まさか起きたら四方を特殊部隊に囲まれていたとは。
ロゼッタなど、連中にぶら下げられても眠りこけていたし。おまけにチルミナはお前の部屋の窓から対地ミサイルをブチ込んだ」
「チルミナぁぁあー!」
【風通しがよくなりましたね♪】
「こ、このやろう……」
「模様替えの手間が省けたな、魔女!」
「いっそその無駄口しか叩けない機首へし折ってやろうか貴様ら」
「それは遠慮する」
【機首折れたら飛べないじゃないですか、ヤダなぁ】
「……あんたたちが居るから私は不幸続きよ!」
【それはほら、カーラさんが幸せになるまでオレグが傍にいてくれるそうですから】
「……えっ?」

魔女は硬直した。そして頬を赤らめた。
今のは、冗談だろうか。チルミナの発言に最近信憑性が認められなくなったのは確かだが、こんなにも奔放なことをいうものだろうか。彼女はオレグと意識を共有している。もしかしたら本当かもしれない。
「お、おい! なに余計なことを口走っている」 オレグの狼狽した声。
「……オレグ、ちょっと今の、信じてもいいの?」
「う、いやな、その。おい責任取れチルミナ! お前の発言を真に受けてしまったようだぞ」
【御冗談を、責任取るのはあなたですから】

すまし顔でチルミナは進路を取り、90度ロール。そのまま加速。慌てふためく操縦士を余所に迷いなく空を穿つ。
あきれ顔でロゼッタはキャノピーをつついて真意を質そうとする魔女を見る。どうにもこうにも、意外と揺らぎの多い義姉だ。これでは婚期だって遅れよう。警部と並んで立ち尽くすくらいしかできない。隣では蟲男が小さく笑いをこらえていた。

「……なんかさ」
「おい、義妹としてどう思うよ。あれ」
「カーラもカーラで馬鹿正直だけど、チルミナも存外タチ悪いよね」
「恐るべき演算能力で魔女をおちょくることに全力投球しているからな……女って怖ぇよ」
「あれ、警部さんもすっかり染まったんじゃない? 今チルミナを女って」
「あんなに人間臭い機械がいるか。アレの魔性は絶対にお前さんや魔女より上だぞ。人心掌握を心得ているうえに狡猾すぎる」
「……確かに人を小バカにする技術において彼女に勝てる自信は無いなぁ。
性格悪いもの同士カーラとはお似合いだよ。向こうの方が数段上手だけどね」

ぎゃーすかぎゃーすか喚き声が聞こえて、耐え切れずにチルミナがバレルロール。投げ飛ばされそうになる警部。キャノピーに跨って糾弾する魔女は頭を冷やしたようだった。思い出したようにロゼッタに駆け寄る。

「そういえばロゼ、あんた……」
「うん、母さんと王様に動いてもらった。何とか間に合ったようだし、あの二人なら大丈夫だよ。ベルンハルトもいることだしね」

従者の身で主に指示を出すなどというのは、並みの自責ではなかったはずだ。
ロゼッタはファルアウンに絶対の忠誠を誓っている。それこそ神をも恐れぬ最強の従者だが、ただ一人抗えない相手だ。
それを動かす決意をし、またファルアウンもそれに応えた。飄々と腕が鈍るからなどと言ってはいたが、クイーンに座するエピタフィオンと対をなすキングに当たるのがファルアウンである。術者としては生半可な魔族では相手にすらならない。
その二人がついていれば、何も問題はない。いつもだったらそう考えるだろうし、そうとしか考えられない。
だが、そのファルアウンが万全を期してロゼッタの母親を連れ、またベルンハルトを配して「やっと勝負になるか」と言ったのだ。
これが全く謙遜に聞こえなかった。歴戦の魔術士たちは顔こそ涼しげにしていたものの、気迫は一縷の隙も見せなかった。
頬を打つ風が急に冷たく感じられる。ベルンハルトは絶対に心配の要らない従者だと信じていた。
だが、今彼は手負いなのだ。よりによって、自分に腕を斬られた所為で。
……こんなにも、胸に重苦しく曇天がかぶさったことがあっただろうか。空気のように、そこにあるのが当然だと思っていた執事。
今自分は、誰よりも本当の家族として彼の身を案じていることに魔女は気づいた。掌から零れ落ちる砂のように、それはあっという間に無くなってしまうものかもしれない。そう思ったら、背中が氷のように張りついた。
ロゼッタがそんな顔色を察したのか、小さく口を開く。精一杯の元気。

「……きっと大丈夫。ベルンハルトはあんな奴にやられるほど弱くない。
王様も、母さんも。本気だしたらすっごいんだから。だからあたしたちは、三人に任された分だけ先に進まなくっちゃ」
「……そうね。店長とリーゼは――……」
「それこそ無用の心配だって。
あの二人も母さんたちに負けず桁外れじゃん。人外で対神最終兵器カップルだよ。陽動とか言ってついでに総人口削ってやるとか言ってる奴らだもん……あたしは、信じてるよ。なんだかんだで最小限の犠牲で、貪欲に無理難題を罷り通してきた二人だ。
あの二人に任せておいて、損はしないさ」

脳裏を過る二人の影。不敵に笑みを浮かべて、今頃莫大な数の連合軍を相手に大立ち回りを演じているだろう。誰よりも闘争を愛し、骨肉の削り合いを愛し、そして束の間の平穏を愛し。自らが掲げた正義のために世界を巻き込もうとも決して臆さぬ鋼のような魂を持つ、絶対強者たる二人。神を殺すという大それた共通の目的を持つ、人智の遥か及ばぬ先にいる古代神種の二人。場末のレストランの店長とウェイトレスという、似合わぬ隠れ蓑を持つ二人。
彼らは今、再び本来の姿を現世に現し侵攻を開始した。普段より飄々として全く深淵を見せてこなかった連中の共闘だ。
何をしでかすか、想像もできたものではない。やはり「人智の及ばぬ」連中なのだろう。考えるだけ無駄だと思えば、魔女はそっと溜息をつくだけ。

「ホント、なんであいつらお互いを騙し合いながら一つ屋根の下で仕事できたのか不思議なくらい、ヤバい連中だこと」
「店長さんは隠す気なかったってのがすごいよね。リーゼロッテもよくもまぁ白々しく付き添えてたもんだ」
「龍神と大天使となればもう発想とか忍耐力が私らとは段違いなんでしょう。正直神経疑うわ」
「……でも、反面心配は一切いらないんだよね。
バカバカしいほどブッ飛んでる。そんな二人だもの。本当に、心配するだけバカを見るだろうから」
「ええ。守る必要のない味方なんて、最高じゃない。なかなかいないわよあんな逸材」

人は、誰しも守り守られ合って生きている。
そこには必ず痛みが付きまとう。齟齬もあるだろう。だが、彼らは守らなくていい――それをするのが馬鹿らしいと感じるくらいに、完結し完成されている。さすが、人でないものを数十世紀やってきていた連中は格が違う。
笑えてくるくらい絶望的な状況を吹っ飛ばす、最凶の刺客。敵や味方という陳腐な言葉で形容できないくらいに、やつらは底を見せてくれない。敵よりもずっと厄介な存在。だが、最高の連中だ。守らなくていい――たったのそれだけで、どんなに気負いしなくていいことか。そんな彼らが傍にいることで、羽根が生えたように心は軽やかになるだろう。不思議なものだ。
魔女はにやりと笑った。そうして辺りを見回す。すっかりチルミナは空高く躍り出て、雲の上に出ていた。

蒼く、何処までも広がる空。柳色の装甲が遮るものの無い陽光を反射し煌びやかな軌跡を描いている。
戦闘目的でなければ存分に空の旅を楽しんでいたいくらいに、明るい色に満ちた空間だ。大地は遥か下に、流れる河川が綺麗な水色を穿ち、森が犇めくように彩っている。
だが、そんなことも言えなくなってきた。視界の遥か果てより、何機かがこちらに向かって接近してくる。
チルミナが雲の切れ間に映るシルエットを捉え、長距離レーダーに捉えた。電子盤の上に明滅する五つの矢印。不明機を意味する表示。
チルミナが無い舌を打つ。
【……オレグ、当該空域に五機の航空戦力を確認、高速。邀撃機と思われます】
「ああ見えた、所属は」
【わかりません。ですが連合に嗅ぎ付けられたにしては早すぎるかと】
「そしてここはベルーア上空ときたもんだ。何やら嫌な予感がしてきたぜ」
チルミナが進路そのままに、機体を加速させゆく。
どんな相手だろうと負ける気はしないが、それでも荷物を積んだ状態での空戦だ。そしてこの荷物は生憎、捨てることができないくらい大切なものだ。どうしてもハンデつきの戦闘は避けられそうになかった。
レプリカ・バベルに到達まであと少し距離がある。五分近く防戦一方の防御機動に徹底できるか? 機動を制限したまま戦闘が可能か? チルミナは僅かの間に数百を数える戦術シミュレートをし、どれを取ってもいいように構えて前進を続ける。
そしてここはオレグの言うとおりに――連合隷下の国家領空だ。出てくる邀撃は恐らく自分たちを落としてもいい許可を得ているだろう。最悪の場合、五機すべてをここで相手せねばならない。
レーダーの敵機が目視照準出来る距離になった。ようやく機体が雲の切れ間から姿を現し、美麗な陣形を取って肉薄。
機体識別、完了。データを照らし合わせる。銀色の美しい塗装。特徴的な、機体下部から側面に伸びたエアインテーク。前方側面に巨大なカナード。見覚えがあった。
【――FK-17C四機に正面中央一機がFK-17E――ベルセルク。
部隊番号、ベルーア共和国第2航空師団戦闘打撃部隊第一部隊……搭乗者、バッカニア・ブラドレッド中佐】
「野郎、なんてこった。復役してやがったか……ははっ!」

戦慄が背を駆け抜けた。北帝で交戦したエースパイロット。そして戦後は盃をかわしたよきライバルでもあった。
この青空で、再び翼を交えることになろうとは。オレグは哄笑した。因果というのはどうにも皮肉なものだ。
最早命すら失った自分と、いまだ空を飛ぶ熟練の戦友。
機体はあの頃のまま、再びこの空で。思えば、空は随分と狭い。線引きが無い、何処までも続く果てしない空間だからこその邂逅。
震える手で操縦桿を握った。スロットルはいつでも押し込めるように。機体速度、高度維持。相手の出方を窺う。
通信が入る。チルミナの無線シグナルは生きている。
しわがれた、聞きなれた声。勿論無線越しにだ。訝しむようなそれは、二年前と何も変わらなかった。

「……本当に君なのか、ドラグノフ大尉?」
「……今は殉職して二階級特進だ、中佐とでも呼んでくれ」
「……バカな。この目で見るまで信じられなかった。
北帝の、柳色の悪魔。君はあの空戦で粉微塵になったものと」
「まぁ、間違ってはいない。俺は確かに死んだ。“こいつ”もだ。
だが、現にこうして、失うものは多かったがまだ空を飛んでいる。だからお前たちのやるべきことは変わらん。
……どうせ最期だ。チルミナ、挨拶でもしてやれ」

出方を窺っていたチルミナが頷いたのか、無線に入り込む。
ノイズを紡ぎ、彼女の声とする。

【――お久しぶり、と言いましょうか中佐。回線は全機に聞こえるように出しているはずです。応答をどうぞ】
「君が、チルミナータルか」
【はい。詳しいことを話している余裕はありません。ですが今私とオレグは完全に同化しています。
……語弊を恐れずに発言してしまうと、今の私たちはあなたがたの形容するところの悪魔、というやつです。
とうに、生き物ではありません。まぁ、私は元から無機物ですが】
「……撃てば墜ちるのか?」
【ええ、撃てば墜ちるでしょう。
ですが……それをやるつもりであれば、相応の覚悟をしていただきます。その時は、常識を外れた敵とあなた方は空戦をやる羽目になるでしょう。私もタダでは撃ち落とされるつもりはありません。あなた方を殲滅してでも先に進みます。
ここを黙って通せ、と言っても無駄でしょうから。今のうちに伝えておこうと思いまして】

凛とした声でチルミナは淡々と告げた。
中佐は暫し言葉を噤んでいたが、やがて僚機に指揮を飛ばした。
すれ違い、高速で二番機がチルミナの背面につく。その上方からさらに三番機。残りが左右に分かれ死角を封じ、中佐のベルセルクが真横につく。
コクピットの中の搭乗者と、魔女の目があった。流麗な金髪を流していても、目は睨みつけたままだ。
そして中佐は重い口を開いた。思いつめたような、この手で死んだ戦友を撃たねばならないという、奇妙な感覚に手は汗で濡れた。

「……我々には、我々のなすべきことがある」
「……だろうな」【でしょうね】
「ドラグノフ……“大尉”」
「なんだ中佐」
「君がやろうとしていることは、たぶん私が思っている以上に規模が大きく、換え難い目的なのだろう。
だが、お互いに譲れないものがある。君は君の正義に殉じ、私は私の正義に殉ずる。こうして袂を分かつことは……正直残念だ。
……強いて一つだけ、こうして逢えて分かったことがある。
こうして君と再び翼を交わせることを、今以上に誇りに思ったことはない。ベネディクト大尉、君も挨拶していくがいい」
二番機からの交信。背面についたベルセルクからのもの。久しくあった戦友に対する、奇妙な邂逅の喜び。

「オレグ、貴様か」
「はは、お前もいたかベネディクト。どうした、模擬戦のツケがまだ残っているぞ」
「そのツケを突き返してやろうと思ったら、勝手に死んじまいやがって。この野郎め。あげくはこうして、悪魔になって出てきやがった。しかも敵だ」
「……すまんね」
「――中佐、こんな奴知りません。さっさと警告を終わらせて撃墜してしまいましょう。近頃は燃料も安くないですし」
「大尉、いいのか?」
「ええ。こいつはただの不明機です。それ以上でもそれ以下でもありません。攻撃の許可を」
「大尉……」
「早くしてください。でないと俺は、こいつを撃てなくなるかもしれない」

沈痛な空白がややあって、意を決したように中佐は声を張り上げた。陣営は揺らぐことなく、インターセプトそのままの形式をとっている。魔女も、蟲男も、警部もロゼッタも。そしてチルミナとそのパイロットも、戦いを覚悟して身構えた。
大きく息を吸い込み、毅然として言い放つ。
「こちらベルーア共和国第2航空師団戦闘打撃部隊第一部隊一番機、ブラドレッド――不明機に告ぐ。貴機はベルーア領空を違反している。速やかに航行目的と所属を述べ、戦闘の意思がないことを表明せよ。さもなくば発砲、撃墜する」
「――チルミナ。頼む」
【警告を受信しました。こちら通りすがりの空戦機、チルミナータル。
遺憾ながら、貴機の指示には従えません。世界の、そして私たちの戦友のために。私たちはこの領空を最速で突破します。
……邪魔立てするのならば、幾らでも相手になりましょう。束になってどっからでもかかってくるがいいです】
「ふっ、それが貴機の答えか」
【ええ。これが私たちの、答え】
「……いいだろう。全機散開――セルキア2、3、私に続け。4、5は大きく旋回し畳み込め。発砲許可、各機状況開始!」
「ブラドレッド隊長、HQから交信が――」
『聞こえるか中佐、聞こえるか。こちら管制塔』

不意に無線機に信号が届いた。ベルーア空軍の管制室から、否。もっと重要な位置から信号は来ていた。セルキア各機は急制動をかけ、再び陣営を保った。チルミナも虎視眈々と通信を聴いている。無線中に戦闘を吹っ掛けるつもりはないらしい。
「……こちらセルキア1。現在不明機を捕捉しており、交戦を開始します」
『中佐、交戦を中止するのだ。国防長官からの緊急命令だ』
「……何故ですか」
『先程我が国家の元首をはじめとする、連合全国家の首脳あてに、何処の国家にも属さぬ二人の重要人物から直接の会合があったらしい。この二人がまとめた資料と証言には、連合のフランケンシュタイン博士に関する驚愕すべき事実が顕されていた。
博士は、連合の主核部アリッセル上空に秘密裡に攻撃衛星と思しきものを建造していたというのだ。
しかもそれは、連合の全土を射程に覆う強烈な手段を保有しているらしい。すぐさま首脳たちは先導国アリッセルの大統領を問い質そうとした。会合に彼だけは出席していなかったのだ。
官僚たちが彼の執務室に乗り込んだ時には、もう遅かった。彼は自分の頭を拳銃で撃ち抜いていた。
フランケンシュタインは死亡しており、計画は独走を開始している。大統領の権限を以てしても制止できない段階にまで、状況は深刻化しているらしい。おそらくは自責の念だろう。利用されていたとはいえ、大きく加担していたと思われる。
よって、連合首脳部は一時的な結束を近隣諸国に呼びかけた。ラスカリヤもこれに呼応した。
君には信じがたいことだろうが……これらの話を、公の下に発露させてくれたのは、我々が悪魔、という生き物らしい。
驚くべきことにラスカリヤは国家ぐるみで彼らとの付き合いをしていたらしく、対応も早かった』
「管制塔、我々の前にも今奴らがいます。それも死んだはずの、チルミナータルです」
『やはりか』 管制室は話を聞いていたからか、冷静に続けた。
『また信じがたいことだが、彼らは本当に我々連合を救うべく動いているらしい。
各国の首脳部にもこの悪魔と呼ばれる生き物たちと、既にコンタクトを取っている要人が大勢いる。彼らが、一人類としては認めたくないが、恐るべき叡智で我々より先にこの未曾有の危機を察知していたことは、驚きとしかいいようがない』
「では……どうします管制塔」
『連合だけではない。これは今やこの大陸全土の意向だ。彼ら超常の存在悪魔、魔女たちと協働し、フランケンシュタインの計画を阻止せよ。
手段は選ばなくてよい。どう連携しようとも自由だ。だが、これは我ら人類にとって重大な意味を持つ一日となるだろう。既に上に上がった各国空軍機、そして地上軍の全てが暴走したフランケンシュタイン私設部隊との交戦を開始。戦況は難しいが、我らは我らが民と国土のため、負けるわけにはいかない。
諸君らの双肩には人類の未来がかかっている。健闘を祈るぞ、セルキア隊。オーバー』
「了解、管制塔。我らセルキア隊は人類の明日のために化け物どもと共に空を飛びましょう。アウト」

通信を終了。無線機には各機からの安堵の声、困惑の声が聞こえる。
ただ一機だけ、チルミナが小さく声をこらえて笑っていた。オレグも同じだ――と思いきや、呼吸マスクを外して爆笑していた。涙すら出てくるらしい、笑い泣きだった。
仕方なさそうに肩を竦め、ブラドレッド中佐はチルミナに声を飛ばした。

「だそうだ。奇妙なことになったが、また共に空を飛ぼうかドラグノフ大尉、そしてチルミナータル?」
「ははっ、まさかこう来るとはな。
いいだろう。引退してたからって腕が落ちた言い訳にはならんぞブラドレッド中佐。俺とチルミナの妙技をご覧あれ」
【……やれやれ。男ってやつは、どうにも不便な生き物ですね】
「あんたがそれを言う?」ロゼッタの怪訝。チルミナは笑ったままだ。【確かに。私の方が不便な生き物ではあります】
「…………」
【あれ、どうしたんです? ハトが豆鉄砲喰らったような顔をして】
「……あんたって、本当に人間に馴染み過ぎだよね……世界中どこ探したっていないよあんたみたいなの」
【お褒めの言葉をどうも。自分でもどうしてこうなったのやらさっぱり見当もつきません】
「それは多分あんたのパイロットとその伴侶の所為だと思う」
「誰が伴侶よ!」「ははは、照れることを言うなお前の妹分は」
「オレグ、あんたも否定しなさい」
「おや、俺は然程悪くないぞ」
【……搭乗者がこういう人たちなのです。残念なことに】
「そりゃあご愁傷様……んっ」

ロゼッタの五感が長距離から迫りくる羽音を察知した。後方から四機。前方からも幾つか。ターボファン・エンジンの空気を焼く蠕動が伝わる。魔女の千里眼とチルミナのレーダーが期を同じくして姿を捕捉した。
囲まれている。

「……カーラ、敵がもう来てる」
「さすがに早いわね」
「後ろから四機、前から六機。そろそろレプリカ・バベルを隠蔽する放射結界に突入するよね。ってことは、ここらはもう敵陣の網の中なわけだ」
【タリホー! ブラドレッド中佐、データを転送します。敵機総数、十。IFF照合なし。フランケンシュタイン私設軍のものと判別。
結界が広範に作動しているため、目視での捕捉は困難です。何処から来るか分かりません。
全機、隊列を崩さず高速で中央を突破します。よろしいですか?】
「分かった。チルミナ、先導をしてくれ。私が右につく。後続機はデルタを描け」
「了解」

ベルセルクが散開し、二機ずつ後ろに放射状に並ぶ。ブラドレッドの機がチルミナの右側面につき、チルミナがスロットルを引き上げる。その瞬間に蒼い空は一瞬にしてネガを描き、色を反転させ入り乱れるインクのように混沌を渦巻いていった。
視界を揺るがす原色の螺旋が感覚を狂わせる。数秒してそれを抜けると、そこには昼間の空とは思えない宵闇が彼方に拡がっていた。
そして濃紺の星空に悠々と浮かぶ、空中要塞の姿があった。

「これは……」ブラドレッドが感嘆を上げ、説明するようにチルミナが続けた。
【とばりの向こう側、とでもいいましょうか。視覚を欺瞞する結界を放射状に展開し、人間界と魔界の狭間に誰にも悟られずに要塞を建造する。なるほど手の込んだことをしてくれます】
「これだけのものを、破壊できるのか?」
【現状戦力ではやや無理がありますが、後続に人智ブッチギリの龍神が居ます。まぁ、なんとかなるでしょう】
「なんとかなる、とはな」
【不足ですか?】
「いや、実に君たちらしい」
ブラドレッドは不敵に微笑んで操縦桿を握る。ロゼッタが呆れるように掌を返した。
「すっごく気分屋だから何とも言えないけどね。ただ本気だしたら誰にも止められないよ」
「あんたも大概じゃない?」と魔女。「全く、どいつもこいつも化け物揃いの烏合の衆。
そんなんで世界を救おうっていうんだから呆れちゃう」
「あっ、言ったねカーラ!」
「私もとびきり化け物に生まれちゃったんだから、この力使い切らないと勿体ないでしょ?
……上等よ。奴らだけに世界の左右を決めさせはしない。人間、悪魔、天使に龍神、それに幽霊と戦闘機、吸血鬼もひっくるめて首脳会議に持ち込んでやるわ。勿論議論の応酬は殴り合いでね」
「……なんだか吹っ切れたみたいだね。ちょっと安心したよ」
「こうでもしないとやってられないから……ふふん、受け入れてやろうじゃない。
まったくもって世界はバカげていて、私は何処までもちっぽけだ。だからやれることからやっていって、理不尽なんかブッ壊してやる。
私の答えは……今はそれでいい」

魔女は遠く、雷雲包む空中要塞を見据える。禍々しい黒雲を取り巻きに地上に向けて底部が毒針のように伸ばされており、上方にもまた同じものが空高くつき出ている。天上世界と地獄の両者に向けられた、裁きの雷を放つ塔。
勿論そのはざまにある人間界も例外ではない。首都の殆どがその射程に包まれるだろう。フランケンシュタインは一つの都市を犠牲にして、人類に仇なすおそれのある全ての眷族を滅ぼすつもりだ。
握りしめた巨剣とギロチンにさらに力を込めた。止める理由がある。守るべき命も、また手を取ってくれる仲間もいる。
だから私は、それに応えよう。
呪われた血、呪われた運命。誰かの思惑に動かされ、ここまで来たのだとしても。
今ここに立っているのは自分の意思だ。これから戦うのも自分の意思だ。
守りたいもののために戦うのは、私の希望だ。

「チルミナ!」
【全力で突破します。各機スロットル全開。フォーメーション・デルタ。迎撃機、レーダーロック――12時方向に6機!】
「見えた!」ロゼッタが叫ぶ。蟲男が察したように呟いた。「シャンドールか」
【機影確認――ランベル5機及びシャンドール1機】
「ヤツめ、やはり生きていたか」
【デウス・エクス・マキナは人工知能に潜伏する複合体。
あのシャンドールが彼の最後の媒体だったとは考えにくいですものね。概ね予測の範疇ではあります】
「どうするよ? ここで交戦か?」
【いえ……】ロゼッタの険しい問いに対し言葉を濁して、チルミナは苦笑した。
【これだけお荷物を背負って戦う訳には、いきませんものね】
「あっ、それもそうか……カーラは馴れてるからともかく、あたしたちはお邪魔虫だもんね」
【これから彼の射程を振り切り、全速力で低空を突破します。
その際にレプリカ・バベルに取り付いてください。後は私とオレグ、それにカーラで何とかします】

スロットルが入れ込まれ、速度域を上昇させるチルミナ。冷たい風が吹き飛んでゆく。
レーダーアラートが叫び、後方からの接敵を知らせる。チルミナは大きくうねって機動をずらし、鋭くバベルに切り込んだ。
飛行機雲が黒金の要塞目掛け突き刺さり、複雑な軌跡を描いて着陸地点目掛け猛進する。
【各機散開! 私がシャンドールを引き付けます】
「了解チルミナ。生きて会おう!」
【些か異議を申立てますと、もう死んでいますよ!】

冗談を口遊みつつ、スライスバック。軌跡を読んだようにシャンドールが目の前に正対した。
天使のように純白の翼を拡げて、不敵にチルミナを睨む。相変わらず血の気が通っていない奴だ。
オレグが寸分も眉を動かさずに、唇を噛んだ。トリガーを引く。パイロンを電子が通い、ミサイルに火をつける。
「FOX2」
【シャンドール、急制動反転。突っ込んできますね……交差戦です】
「挨拶がてら30mmをブチ込んでやるさ」

シャンドール、回避機動。白煙を吐く追尾誘導弾の隙間をかいくぐり肉薄。真っ直ぐにチルミナの軌道上に割り込むように
視界に現れた。音の壁を突き破り、二機が交差する。
背を向い合せ、機関砲のレティクルを合わせ合う。擦れそうな至近。一瞬の逼迫。
「墜ちろ」オレグが吼えた。マズルフラッシュ。
機関砲が呼応し30mm弾を速射。針を縫う間断を潜り抜けシャンドールが翻り後方につく。チルミナもまた僅かに機体をずらし射線を欺瞞。同時にスロットルを引き入れてバベルに加速した。レーダーアラートが鳴り響く中、ガラサキとロゼッタが後方に回った。

「やれやれ、一筋縄で通してはくれないだろうな」 左手に蟲渦を纏い、一息に障壁を形成。マッハ2で肉薄するミサイルに向け、放つとチルミナの形状を模倣して炸裂――ミサイルは熱源に惑わされその役目を終えた。赤く煌めく爆炎を貫き、なおも喰いつく二発目のミサイルをロゼッタの千里眼は余さずに捉えていた。
「お荷物とは……言わせないよ!」 雷球が拳から溢れ、黒い渦を巻く。身体を捻らせそれを追跡するシャンドールに投擲すると、雷球は炸裂して無数の黒い剣に分離、それぞれが放射して雨のごとく降り注いだ。串刺しにされたミサイルが爆裂し、シャンドールもまた翼に掠めた剣で損傷を負う。しかしなおも機体は加速を続け機関砲がロゼッタに向いた。
無慈悲な砲門が25mm徹甲焼夷弾をぶちまけようとした瞬間に、魔女が割り込む。
「前衛は盾に任せておけばいいのよ! オレグ、迷わず引き離して!」
「……了解!」

ガトリング砲が唸りを始める前に魔女は障壁を展開した。オーケストラが総員でスクラムを組み、円状に装甲を展開。
穿たれる焼夷弾がオーケストラに弾かれ、機体は爆音と衝撃に揺さぶられ続ける。チルミナとオレグは辛うじて舵を制御しながら180度ロール。背面飛行で懸命に被弾を防ぎつつ魔女は術式を紡がせた。

「……守ってばっかりじゃ性に合わないからね! 次は私の番だ!」
オーケストラ、スクラム解除。同時にギロチンとアネクメネの両者に宿らせ、幾重にも刃を重ねて魔女はチルミナの尾翼から飛び立った。二回宙転しシャンドール目掛け肉弾、刃を突き立てる。
高空で踊る影は鋭くシャンドールに切り込んだ、かと思われたが魔女は反転する視界の中でシャンドールに追従する一機が魔女の兇刃、その行く手を塞ぐように割り込むのを見た。
ヒールを穿ち、全体重と膂力を累乗した斬撃が銀色の主翼を串刺す。突き刺した傷口から滑るように魔女は二刀を押し込み、パンプスとギロチンから火花を上げながらそのまま機体を両断。破片を蹴り飛ばし再び中空へ。烈風の瀑布に身を投じる。

やはり、今切断した機体はシャンドールのものではなかった。恐らくシャンドールを護衛する、無人機のどれかが庇いたてたのだろう。
意識の複合体にして、個が存在しないからこそできる物量による攻撃の無効化だ。魔女は唇を噛んだ。視線の先では断裂した戦闘機が大きな花火を上げている。爆炎の向こうからチルミナが垂直に落下、駆けつける。魔女は再び主翼を掴んで機体上に舞い戻る。

「ごめんチルミナ! 今の一撃完全に防がれた!」
【見事な身代わりでした。どうやらいつも通りに攻めたところで墜とさせてはくれませんね……!】
「どうするチルミナ。中々今の兵装では難しそうだぞ」
【カーラ以外の皆さんは先程バベルに空挺致しました。
ですので、このまま私の有利な格闘戦に持ち込みます。僚機はセルキア隊に分担してもらいましょうオレグ】
「勝算はあるのか?」
【やるしかありません。違いますか?】
「……フッ、それもそうだ」

チルミナ、上昇。再び高度を上げ、雲を突き破り、シャンドールを視界に捉える。バベルスレスレにバンク、旋回、向かい合い互いのロックオン距離に肉薄。円半径を縮める。
だが魔女が臨戦を予期し刃を握った瞬間に、ふと異変は訪れた。

足許が急に無くなり、蝙蝠に化けてゆく。魔女は咄嗟の判断で遠心力から弾き飛ばされたまま、バベルに着陸した。
何が起きたのだろう。自分に断りを入れずに分離したり変形したりするチルミナではなかった。だが今、彼女とオレグは確かに自分を置いて行った。
疑問に応えるように、両者からの通信が魔力伝達で届く。

「すまないな」
【申し訳ありません、カーラ】
「……あんたたち!」
「ここからは」
【私たちにやらせてください。
カーラには、救わなくちゃいけない人がいるでしょう? 
ここで身を危険にさらすよりも、駆けつけなくてはいけない場所があるでしょう?】
「とまぁ、そういう話だ。
空は俺たちの戦場、俺たちの舞台、俺たちの役割。
カーラ……この戦場は俺たちが決着をつけなくては、ならないんだ」
【必ずや、後で迎えに行きます。ここは私たちにお任せください】

チルミナが遠ざかっていく。紫紺色のアフターバーナーを焚いて。
魔女は一瞬呆気にとられてそれを目で追っていたが、やがて諦めるように溜息。にんまりと微笑んで叫んだ。

「その約束、忘れないからね」
「ふん、俺が一度でも約束を破ったことあったか?」
「……そりゃあもう、何度も」
「……今度は守ってみせる。
だからカーラ、お前は先に行け」
【死んでも死にきれませんもの。この不肖チルミナ、機体全身を懸けてでもこの任務遂行致します】
「……あてにしてるわよ!」
「ああ、達者でな」
【シャンドール、12時方向。交戦を再開いたします】
「行くぞチルミナ」
【了解!】

バベルが遠くなっていき、視界が靄に包まれて再び夜空の黒に出る。
オレグは先程までの緩やかな表情を切り替え、操縦桿を握った。ミサイルトリガーを引き絞り、視界に入った敵をつけ狙い叩き落とす。
だが、所詮は傀儡。シャンドールの機動には及ばず虚しく火を噴いて墜ちてゆく。さすがにヤツはこうも簡単にやらせてはくれないだろう。
「……負けられないな」
【ええ、もう誰も失わせません】
「俺たちもまた、もう失う訳にはいなかない」
【ええ、翼をもがれても生きて滑走路に降りてやります】
「……チルミナ、もう一度訊くぞ。勝算は」
【確かに機体性能も、条件も向こうの方がずば抜けて上です。
ただ……ひとつだけ。可能性が残っています】
「ほう」

チルミナがHUDに情報を降ろしたのを見て、オレグは息を呑む。
そこには「制空戦略用次世代戦闘複合体」との文字があった。
オレグがまだ空軍にいたころに、チルミナとは別のルートで製造が続けられていた機体だ。レーダー照射をことごとく無効化し、高い格闘能力を持ちながらも中遠距離、またどんな空中目標が相手でも敗北しない、完全なる勝利を目的に製造された極秘中の極秘プロジェクト機。
オレグですらラスカリヤ空軍のテストモニターとして何度か交戦したに過ぎなかったが、チルミナの提示した資料はどれもどの諜報機関が保有しているよりも正確だった。他の何よりも現実味のある数字と図表だ。
唖然とするオレグを見、得意げにチルミナが鼻を鳴らす。
「……おまえ、これを何処で」
【覚えていませんか? 私は“それ”と一度交戦し、至近距離での格闘戦に縺れ込んでいます】

たった一度だけ、交差し機銃戦に発展した当時。
オレグはすべてを理解した。チルミナは「一度戦った相手の技術を吸収する」能力がある。それは仮に機密に守られた次世代機でも例外ではない。設計図も見ず、データも取り込まず、理論を解せばただ一度の空戦で全てを記憶し再現できる。オレグは改めて自分の機体たるチルミナの悪魔的性能に畏怖することになった。

「……くそ、なんて厄介な奴だ、おまえは。敵に回したくない」
【オレグ、決断を。貴方さえよければ今すぐ機体構造を再構築してやります】
「…………まったく、大した奴だよおまえ」
【さぁ、どうします? カーラさんとの約束、守るんですものね?
今度こそきちんと帰るんですものね? 違いますか?】
挑戦的にチルミナが仄めかした。オレグは意を決して応答する。

「了解だチルミナ。“プロジェクト50”始動」
【承認。チルミナータル、機体構築再開。“プロジェクト50”、始動。ダウンロード開始】

チルミナの優雅な、それでも堅実な主翼は瞬く間に蝙蝠に化け、緩やかな菱形を描きつつ平坦になってゆく。表層を覆うステルス加工。
垂直尾翼は角度をつけられ、機首はより先進的な機器を搭載。エアインテークは翼状と一体化しストレーキを確保。
雲を突き破るころには、すっかりシルエットの変わり果てたチルミナが現れた。僚機のブラドレッドが驚愕の言葉を上げた。
平常のチルミナと判断できる部分は推力偏向が可能なエンジンノズルと、柳色の特徴的な迷彩くらいしかない。

「おい、チルミナ……だな?」
【中佐、ご迷惑をおかけいたしました。現在プロジェクト50始動。
機体構成を変形させ戦闘に再度臨みます。ご了承ください】
「変形とかなんでもありだな……」
【悪魔ですから♪】
「まったく、行くぞチルミナ! 敵機迎撃再開、戦闘領域に突入する!」
【了解、マイパイロット。敵機捕捉。2時方向、シャンドール一機。これより交戦を再開します。
チルミナータル、プロジェクト50。エンゲージ】

すっかり最新兵器に変貌したチルミナは鋭く空を切り裂いた。
もう二度と、何も失わないために。





To be continued [file#16]
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  1. 2011/12/10(土) 01:33:30|
  2. 一次創作
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